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0611 史学概論 日大2年目から履修

2010年度 科目修得試験 3時限目

[履歴]
2010.04.10 新規作成

[試験範囲]

第1回 第2回 第3回 第4回
H22 --- --- ---
H21 ---
H20
H19
H18





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平成21年度
第1回
3時限目

■テキストで、史料批判の実例として述べられている「創建清眞寺碑」について、
その偽物と判断されるいくつかの理由について言及し、さらに偽物にあるにも
かかわらず、その内容について吟味することの理由について触れなさい。


「創建清眞寺碑」は、「亀趺」や「虫[離]の左側(みずち)首」がなく、
一枚板に過ぎない。
唐代の碑は、「亀趺」と称する亀の形をした礎石の上に碑身が立っている。
碑身の上部には、「虫離の右側(みずち)首」と呼ばれる冠に当たる部分があり、
そこに龍の彫刻があるのが普通である。
極めて重厚で、彫刻が精巧であるのが通例となっている。

碑身の周囲にある雲形を図案化した装飾紋様の出来栄えも唐代の碑は素晴らしいもの
だが、「創建清眞寺碑」のそれは、貧弱である。

また、この碑に書かれている文の書風は、唐風のものではなく、
明代の楷書というべき書風である。




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平成21年度
第2回
3時限目

■「大日本史料」と「大日本古文書」とについて、知るところを述べよ。

■「大日本史料」は、東京大学の史料編纂掛が手掛けた編年史料集である。
1895年明治28年に帝国大学にて史料編纂掛(現・東京大学史料編纂所)が設けられ、
歴史書の編纂が始まった。


■「大日本古文書」は、東京大学の史料編纂掛が編纂刊行している。
正倉院文書、神社仏閣、公武の各家が所蔵する古文書をその姿のまま
出版している。

古代から近世までの古文書を収録した古文書集である。
読み方は、「だいにっぽんこもんじょ」
内容構成は、編年文書、家わけ文書、幕末外国関係文書の3部となっている。




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平成21年度
第4回
3時限目

■人間を知る学問である歴史の研究を助けるポイントについて、言及しなさい。

歴史は何よりも事実でなければならない。
事実知るためには、大量の史料を集め、読むことである。
そして、何が真実で何が虚偽であるかを判別する必要がある。
歴史の研究は客観をもって、主観を訂正していくことである。
歴史を研究する者は、歴史をある程度予測してから研究に入るものである。
その予想は客観的な史料によって、次々に肯定され、また否定されて、
できるだけ真実に近づいていくのである。

考古学の研究であれば、遺物などの史料を集めて考究すべきである。
中世以降は、文書での記録が残るため、古文書を集め考究すべきである。
官庁の発行した命令文、告知書、報告文など公文書や私的な手紙など
の私文書がある。



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平成20年度
第1回
3時限目

■テキスト掲載の「創建清眞寺碑」が偽物であることを述べなさい。
また、偽物であることが判明した「碑」の内容について言及する理由についても
述べなさい。



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平成20年度
第2回
3時限目

■過去にどのような史観があったか、3つ以上あげて説明しなさい。
なお、3つの内、1つは必ず唯物史観について触れるように。


宗教史観
精神史観
環境史観
唯物史観

などがある。

■宗教史観は、史観の中で最も早く現れた史観である。
人間は神によって作られたものであるため、その行動はすべて神の摂理に従うという
見方を取る。
そのため、あらゆる歴史の出来事は、すべて神を窮極の原因としている。
生死や栄衰などこの世のすべての出来事が神の計らいによるものだとして、
歴史を通して神の計画があったことを認める史観を持つ。
中国における天命史観もこの類である。
天という漠然とした観念の中で、選ばれし者に天帝としての存在を認める。
天命という人間の力を超越した人間の運命を支配する最高の天の意志を認める史観である。

平等に生まれた同じ人間の中から選ばれし者を特別視し、天下を治める者として、
天子となる超越的な天の加護があったとする進行的な歴史の見方である。

西洋では、キリスト教を通した宗教的史観が存在する。
それは歴史は神から出て、神に帰るとする。
雑多な歴史の出来事も根本の構造は不変であるとして、
最後には永遠なる安息の日を迎えるとする。


■精神史観は、人間の精神こそが、歴史の原動力であると見なす史観のことである。
人間は過去を顧みることで、そこから何かを学び得る。
一つの問題が提出され、すぐに反対論が立てられ、やがて両者を融合する一段と
高い理論が設立されるとする。
歴史は常に対立する二つの要因を内包し、その対立からやがて一段と高いレベルでの
包摂された理論へと展開されていく。
ドイツ語でアウフヘーベンといい、日本では止揚と訳される。

■環境史観は、法や芸術など各国、諸民族で相違がある主因が、自然的環境の相違にあるとする。
異なる環境の下で生きる人間が生み出す歴史は、絶えず周囲の環境に左右されていた。
歴史は、環境によって、形作られたとする。

■唯物史観は、古代においては、西洋・東洋ともに存在した。
ギリシャの哲学者・ターレスは「万物は水より成る」とした。
その後、「万物はアトムから出来ている」という考えが生まれた。
中国では、古代から五行説があり、「木火土金水」の5つの要素から万物はなるとした。
インドでは、「地水火風」によって、世界はなるとした。

近代では、カール・マルクスによって新しい弁証法的唯物論が生み出された。
歴史の原動力は、物質的生産力に帰する。
この生産力は、弁証法的に発展する。
唯物弁証法では、社会はいつも利害相反する二つの階級に分かれ、
その対立と抗争によって歴史を進展させた。
社会の歴史は階級闘争の歴史であった。
そのため、奴隷経済社会、封建社会、資本主義社会へと経過してきたのである。
資本主義社会においては、資本家と労働者とが必然的に闘争し、階級闘争の結果、
生まれるのは共産主義社会であるとした。



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平成20年度
第3回
3時限目

■史料とはどういうものをいうのか。
 遺物、伝承、説述の三つにわけて説明しなさい。

遺物とは、歴史事実を構成していたその構成分子が
今日まで残っていた物のことである。
ある史実の片割れ、形見、残骸のようなものが現在まで
残された場合に遺物として扱われる。

人体の一部、村落の遺跡、交通路、古戦場など史実が起きた場所、
造営物、器物、道具、飲料、食品、服飾、文書、帳簿、貨幣、美術作品、
文芸作品、業績などが遺物として扱われる。

伝承とは、例えば祭儀を取り行う順序が受け継がれることをいう。
昔から長年、続けられてきた儀式などが今日まで伝わる事柄を示す。
言語、ことわざ、民謡、儀式、風習、風俗、法律、制度、芸能、遊戯、技術、手法
などが伝承として分類される。

説術とは、ある史実について人へ伝える意を持って陳述、説術することを指す。
言語による説術、文字による説術、図絵による説術、録音による説術がある。



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平成20年度
第4回
3時限目

■歴史の研究をおこなうにあたって、史料は絶対に必要なものである。
その史料を批判するということは


外的批判と内的批判が必要である。
外的批判をした後に内的批判を行うのが通例である。
外的批判は内的批判を試みる前に行う史料についての検討段階であり、
場合によっては、外的批判で落第と決まれば、内的批判を行うことはしない。

外的批判には3つの事柄を行う。
真純性の批判、来歴の批判、本原性の批判がある。

真純性の批判は、偽作や誤認をよく吟味して、史料が自ら名乗る如きものであるか否か、
伝えられる如きものであるか否かを見分けるための批判である。

来歴の批判は、ある史料がいつ、どこで、誰によって作られたのか吟味する批判である。
その史料の評価考量する上で大事な根拠となる。

本原性の批判は、ある出来事や史実について、いくつかの史料があった場合、
それぞれが独立したものか否かを見分けて、同一系統から派生した史料でない
ことを見極める批判である。
史実の立証には、それぞれ独立した史料があった方がより望ましいからである。

内的批判は、ある史料の内容の信憑性の批判である。
外的批判で史料として採択できるものをさらに十分検討を加えて、
その史料が指し示す史実にとって、どの程度の立証力を持っているかを
確かめ、吟味する。
内的批判は、説述史料(陳述史料)にのみ適用される。
すなわち、記録書、日記、回想録、自叙伝、一般の史書などがこれに属する。
遺物や伝承など沈黙史料(無言史料)については、適用されない。
これは、何事も物語っていないことについて、信憑性を問わないためである。


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平成19年度
第1回
3時限目

■過去にどのような史観があったか、2つ以上あげて説明しなさい。
なお、2つの内、1つは必ず唯物史観について触れること。



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平成19年度
第2回
3時限目

■史料批判とは何か説明し、ついで歴史の研究を行うにあたって、
これが必要な理由について述べなさい。



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平成19年度
第3回
3時限目

■遺物・伝承・説述について知るところを述べよ。
遺物とは、歴史事実を構成していた構成分子が今日までも残っている物のこと
である。
史実の片割れ、形見、残り物といった言い方もできる。
例えば、始皇帝暗殺の刺客が持っていた刀が今日まで残っていたならば、
それも歴史的事件に関連した遺物となる。
伊豆の韮山に残る江川坦庵が築いた反射炉が残っていれば、それも幕末の
沿岸警備や西洋式砲術の伝習といった事実の片割れと成り得る。

具体的な遺物は、
1.人体全部または一部の遺存 ミイラ、骨格、毛髪、皮膚など
2.地理・地形 都市、村落の遺址、交通路、古戦場、史実の起きた場所など
3.造営物 住居、宮殿、楼閣、神社、仏閣、祠廟など
4.器物・道具類 家具、調度類、飲食器など
5.飲料・食料 酒や食物、食べカス、貝塚、当時のゴミ捨て場など
6.服飾 衣服、冠帽、甲冑、装飾品など
7.文書・布告・広告など 公文書、私文書など
8.貨幣 古銭、小判など
9.美術品 絵画、彫刻、工芸品など
10.文藝作品 小説、戯曲、詩歌など

伝承とは、祭儀の順序を受け継ぐものに伝えること。
忠実に再現され続ける言い伝えである。
1.言語による伝承
2.ことわざ、金言、標語、民謡による伝承
3.儀式、祭儀による伝承
4.風習、習俗による伝承
5.法律・制度 村八分など

説述とは、ある史的事象、出来事の全部または一部をあらかじめ人に伝える
意をもって、陳述し、説述し、叙説するものを指す。
それが必ずしも正確であるかは問われない。
陳述とも叙述とも言われる。

1.言語による説述
2.文字による説述
3.図絵による説述
4.音による説述

1.言語による説述は、口頭説述であり、噂話、流言、神話、伝説など。
2.文字による説述は、記録・史籍の類であり、歴史事実を最も具体的に
  再現させるものとしては、一番有力なものである。
3.図絵による説述は、絵巻物から彫刻、銅像などあり、近代では、写真が
  有力な史料となる。
4.民謡など伝承による言い伝えがあり、詩歌も貴重な文化史料となる。
  近代では録音レコーダーによる史上の人物の肉声を記録しており、
  貴重な史料となっている。


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平成19年度
第4回
3時限目

■「日本紀」の仏教伝来の記事と「金光明最勝王経」との関連について知るところを
述べよ。


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平成18年度
第1回
3時限目

■唐代に造られたという「創建C真寺碑」が後世の贋作であるとされる経緯と、
贋作であると判明したにもかかわらず、その碑文を検討してみる必要のあることに
ついて理由について述べよ。


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平成18年度
第2回
3時限目

■「日本紀」の仏教伝来記事と「金光明最勝王経」との関係について、
知るところを述べよ。

欽明紀の仏教伝来記事が義浄訳の「金光明最勝王経」から拵え上げられたことは確かである。
この経典は「日本紀」の編纂に関与した何人かによって、読まれたに違いないこと。
この経典を日本にもたらした人物として、最も有望な人物が道慈であること。
聖武天皇の朝廷に737年と738年に召されて、「金光明最勝王経」を御前に
講義をしたため、彼が以前からこの家移転に精通していたことを物語る。


「日本紀」が出来上がるまでにこの経典は、日本に伝わっていたことは
確実と思われる。
欽明天皇紀の文中にこの経典の文句が取り込まれ、換骨奪胎せられて、
百済王の上表文に変貌したことは間違いない。

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平成18年度
第3回
3時限目

■歴史の研究をおこなう上において、なぜ史料の批判をしなければならないのか、
その理由について述べよ。

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平成18年度
第4回
3時限目

■史料とは、どういうものをいうのか。
遺物、伝承、説述の三つにわけて説明しなさい。



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平成年度
第回
時限目





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