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0624 西洋史概説 日大2年目から履修

2010年度 科目修得試験 2時限目

[履歴]
2010.04.10 新規作成


[試験範囲]


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平成22年度
第1回
2時限目

■次の事項を説明しなさい(それぞれ5〜10行でまとめること)
1.ヘレニズム世界
2.リキニウス・セクスティウス法
3.ユスティニアヌス帝の政策
4.十字軍




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平成21年度
第1回
2時限目

■次の事項を説明しなさい(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.ミケーネ文明
 2.ディオクレティアヌスの政策
 3.聖像崇拝禁止令
 4.西ヨーロッパ中世都市のギルド

 1.ミケーネ文明
    この文明は、線文字Bと呼ばれる文字を使用していた。
    王宮跡からこの文字を記した大量の粘土板文書が発見されている。

    主な産業は、農耕と牧畜で、手工業もある程度発達していた。
    国王は広大な土地と多くの家畜を保有していた。
    さらに数千人の奴隷を所有していた。

    国王は多くの村々を統治しており、そこから税を取り立て、
    未発達ではあったが、官僚組織も存在していた。

    村々は公有地と私有地が存在しており、住民の自立性も
    現れていた。

    この王国は、小型でオリエントの専制王国に似ているが、小型で
    未完成なものであった。
    

 2.ディオクレティアヌスの政策

   ディオクレティアヌスは284年にローマ帝国の皇帝に即位した。
   彼は様々な改革を実施して、国家の立て直しを図った。

   帝国の統治をより確かなものとするために四分治制(テトラルキア)を
   実施した。
   それは、東西にそれぞれ正帝と副帝を置いた。
   彼自身は東の正帝に就いた。

   官僚制を整備し、3世紀に猛威をふるったインフレーションを抑止する
   ため、最高価格令を出した。効果のほどはあまり上がらなかった。

   国家財政を支える税制として、カピタティオ―ユガティオという地租と
   人頭税を一括して算出する新しい税制を導入した。
   この税制は、労働者を土地に結び付けておくことが徴税上好都合の
   ため、コロヌスは登録した土地から移動を禁じられた。
   土地に縛られたコロヌスの身分は、世襲化された。

   イデオロギーの面では、ローマの伝統的な宗教の復興を目指し、
   広まりつつあったキリスト教に対しては、303年から迫害を行った。
   この迫害は311年まで続き、キリスト教最大の迫害となった。

 3.聖像崇拝禁止令
   
   レオン3世は、当時起こっていた神学上の論争に乗じて、726年に
   聖像崇拝禁止令を出した。
   この宗教政策は、当時イスラムに征服されていたシリアや小アジアに
   いるキリスト教徒たちとの結びつきを保持するために
   彼らの聖像崇拝排除の思想を受け入れる形をとったからである。

   聖像崇拝禁止令は、ゲルマン人への伝道する上で必要だった
   聖像崇拝を是認するローマ教会との対立を招いた。

   この問題によって、ローマ教会は、ビザンツ皇帝の管理下から離脱した。

   女帝イレネが787年、いったんは聖像破壊の政策は廃止されたが、
   イレネの失脚後、再び聖像崇拝禁止令が出された。

   この論争がきっかけとなり、東西両教会の分離と自立化が進んだ。


 4.西ヨーロッパ中世都市のギルド

   中世都市は、都市の自治権が高度に発達した。

   都市の自治単には、ギルドと呼ばれた。

   ギルドは同業組合のことであり、はじめは、商人ギルドが手工業者など
   を従属させて、都市の支配権を握った。

   やがて、手工業者も政治的発言を高め、市政に参加するようになった。

   ギルドは生活共同体として、相互扶助組織でもあった。

   生産や価格の協定を行った。

   同職ギルドでは、親方・職人・徒弟の階層があり、手工業者の社会層を
   構成し、維持した。

   同職ギルドの自立は、ドイツの都市で激しい争いを引き起こした。
   「ギルド(ツンフト)闘争」と呼ばれる。
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平成21年度
第2回
2時限目

■次の事項を説明しなさい(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.大憲章(マグナ・カルタ)
 2.マキアヴェリの『君主論』
 3.オランダ共和国の独立
 4.名誉革命


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平成21年度
第3回
2時限目

■次の事項を説明しなさい(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.ロベスピエールの独裁
 2.チャーティスト運動
 3.イタリアの統一
 4.アメリカ南北戦争


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平成21年度
第4回
2時限目

■次の事項を説明しなさい(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.イギリスとフランスのアフリカ進出
 2.ニューディール
 3.ベルリン封鎖
 4.ヴェトナム戦争



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平成20年度
第1回
2時限目

■次の事項を説明せよ(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.ギリシア人の大植民活動
 2.リキニウス・セクスティウス法
 3.聖像禁止令
 4.西ヨーロッパの荘園制度


 1.ギリシア人の大植民活動

    ギリシア人の大植民活動は、没落した小農民と政争に敗れた貴族らの
    大きな不満がポリス社会の危機的問題となった
    ことで起こった事件である。

    紀元前8世紀の中頃から、約2世紀にわたり、ギリシア人の
    大植民活動が起った。
    ポリス社会の危機的状況が原動力となり、植民することで
    この問題が解消されたのである。
    植民によって、没落農民は新しい土地を手にし、クレーロスを行った。
    不平貴族は、新しいポリスを築き、その政権を獲得した。
    こうした大植民活動は、地中海北岸・黒海沿岸を中心に多数の
    植民市が建設されたのである。
    植民市は、母市(メトロポリス)との宗教的なつながりは保持したが、
    政治的には完全に独立した新しいポリスを築いた。

 2.リキニウス・セクスティウス法
   
   リキニウス・セクスティウス法は、護民官であったリキニウスと
   セクスティウスが提案したものである。
   内容は3つあり、
   第一に、市民の負債の事実上の帳消し、
   第二に、公有地の占領の制限で、500ユーゲラを最大限とし、
        公有地での放牧家畜にも制限を設けた。
   第三に、毎年選ばれる2人のコンスルのうち、1人は平民から
        出すこととした。

   この法律は、当時の市民共同体内の矛盾点を解決するために
   出された。
   しかし、平民全体の政治的地位の向上にはつながらなかった。

 3.聖像禁止令

 4.西ヨーロッパの荘園制度

   西ヨーロッパの荘園制度は、中世初期から始まった。
   従来の荘園経営とは違って、新しい耕作技術と経営方式が
   付け加わり、新しい地理的・風土的環境の下で発達していった。

   荘園制度は、ヨーロッパの封建社会を経済的基盤となって支えた。

   西ヨーロッパの荘園制度は、7世紀から8世紀にかけて、
   北フランス地域で起こった。
   それから次第に西ヨーロッパ各地に広まった。

   中世初期の荘園制度は、一般に古典荘園と呼ばれる形態をとった。
   古典荘園は、農民が領主から土地の保有を認められ、耕作する
   農民保有地と領主みずからが経営する領主経営地からなっていた。
   農民は土地保有の代償として、賦役労働(労働地代)を提供し、
   領主はそれを使って直営地を経営した。

   この方式の荘園経営は、ほぼ8世紀から9世紀にかけて、
   西ドイツや北フランスで最盛期を迎えた。隣接する諸地域にも
   次第に普及した。
   10世紀以降は、しだいに賦役労働に代わって、生産物や貨幣で
   の貢租で支払われるようになった。それに伴い領主の直営地は
   次第に縮小した。
   この形態の荘園経営は、賦役廃止に先立つもので、
   地代荘園t呼ばれる。

   地代荘園は、フランスでは11世紀から12世紀にかけて
   一般化した。
   西ドイツでは、12世紀から13世紀にかけて一般化した。
   これらの地域の地代荘園では、貢租は貨幣より生産物で
   地代支払いが多かった。

   イギリスの荘園制度は、ヨーロッパ大陸の荘園制度とは、
   異なる歩みをたどった。
   イギリスの荘園(マナー)は、9世紀から11世紀後半では、
   宗教所領を中心として普及した。
   
   その後、ノルマン征服で北フランスの所領経営様式の影響を
   受け、13世紀から14世紀前半にかけて、賦役を主体とする
   領主直営地経営が盛んとなった。

   14世紀半ばに黒死病が広がると農民人口が激減し、
   それを一つの契機として、賦役が急速に廃れ、金納化され、
   貨幣地代が普及した。

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平成20年度
第2回
2時限目

■次の事項を説明せよ(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.アナーニ事件
 2.スペイン王国の成立
 3.アウクスブルクの宗教和議
 4.クロムウェルの独裁

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平成20年度
第3回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.トマス=ペインの『コモン・センス』
 2.ウィーン体制
 3.普仏戦争
 4.アレクサンドル2世による「大改革」



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平成20年度
第4回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.国際連盟の創設
 2.ネップ(新経済政策)
 3.国際連合の設立
 4.1973年の石油危機



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平成19年度
第1回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.ソロンの改革
 2.ディオクレティアヌスの政策
 3.ユスティニアヌスの政策
 4.中世西ヨーロッパの荘園制


 1.ソロンの改革

   紀元前6世紀の初め、対立する貴族と平民は調停者として、
   ソロンをアテネの最高政務官であるアルコンに選出し、
   改革を委ねた。

   ソロンは、3つの改革を実施した。
   第一に、市民の負債を帳消しにして、身体を抵当とする
         借財を禁止した。
   第二に、財産政治(ティモクラティア)と呼ばれる財産規模に
         よって4つの等級を作り、それに応じた軍事的
         義務と政治的権利を定めた。
   第三に、アルコンの選出方法の改革である。
        従来の貴族の集まり、アレイオス―パゴス会議
        からの選出ではなく、アテネの4つの部族から
        予選を行い、その中から抽選で選出することとした。

   ソロンのこの改革は、貴族と平民の主張を一部ずつ
   取り入れたものであったため、
   双方を満足させることができず、改革後は、党派争いを
   招き、国内は混乱した。

 2.ディオクレティアヌスの政策
 
 3.ユスティニアヌスの政策

   東ローマ帝国の最後の高揚期は、6世紀前半に皇帝に
   即位したユスティニアヌスの時代である。

   ユスティニアヌスは、西方への関心が高く、西方の旧帝国
   領土の失地回復を目指した。
   まずは、ササン朝ペルシアと和を結び、東方の政情を
   安定化させて、後顧の憂いを絶った。

   6世紀前半、ユスティニアヌスは、将軍を派遣して
   アフリカのヴァンダル王国を滅ぼした。
   次いで、長期戦となったゴート戦争を起こし、イタリアの
   東ゴート王国を倒して、イタリア支配権を奪回した。
   スペインの西ゴート王国にも大きな打撃を与え、西ゴート
   王国の領土となっていたイベリア半島東南部を奪回した。
   西ローマ帝国の故地であるイタリアにラヴェンナを中心と
   する東ローマ総督領を設けて、イタリア支配の拠点とした。

   ユスティニアヌスは、旧ローマ帝国の西方領土であった
   地域を数多く回復し、ローマ帝国理念の再現に成功した。

   また、内治にも力を注ぎ、『ローマ法大全』を集大成し、
   ローマ法典の編纂や註解の事業など多くの業績を上げた。

   しかし、晩年は、帝国の財政が悪化し、長年の遠征に
   より国力が疲弊した。
   

 4.中世西ヨーロッパの荘園制


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平成19年度
第2回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)

 1.コンスタンツの改革教会会議
 2.マキアヴェリの『君主論』
 3.オランダの独立
 4.ユグノー戦争

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平成19年度
第3回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.フランス革命における山岳派独裁
 2.イギリスにおける第1次選挙法改正
 3.ガリバルディとイタリア統一
 4.リンカンの奴隷解放宣言


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平成19年度
第4回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.19世紀におけるイギリスのアフリカ選出
 2.ロシアの十一月革命
 3.スペイン内乱
 4.第1次中東戦争


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平成18年度
第1回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)

 ?????写真に撮り忘れ

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平成18年度
第2回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.大憲章(マグナ・カルタ)
 2.カルヴァン主義の成立
 3.コロンブスのアメリカ「発見」
 4.クロムウェルの独裁政治

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平成18年度
第3回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.アメリカの独立宣言
 2.ナポレオンの大陸封鎖令
 3.ドイツ関税同盟
 4.クリミア戦争


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平成18年度
第4回
2時限目

■次の事項を説明せよ。(それぞれ5〜10行でまとめること)
 1.ビスマルク体制
 2.ニュー‐ディール
 3.マーシャル‐プラン
 4.新植民地主義

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平成年度
第回
時限目





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