岡藩 (おかはん)
≪場所≫ 竹田市


岡藩主の一族にして家老の中川栖山(なかやませいざん)
が、藩内の論評を尊王論に統一した。
中山の指揮下には、小河一敏(おごうかずとし)・広瀬重武
(ひろせしげたけ)・田近陽一郎(たじかよういちろう)・赤座
弥太郎(あかざやたろう)らがいて、大いに藩政を動かした。

田能村竹田(たのむらちくでん)は、藩の侍医という家柄に
生まれた。しかし、竹田は医学を好まず、熊本や京都に遊
学を果たし、見聞を広めると共に江戸へ出て、画家の谷文
晁(たにぶんちょう)に師事した。
その後、竹田は文人画として名を馳せるようになり、後には
藩校の総裁に就任している。

岡藩の居城・岡城は、後に明治の作曲家・滝廉太郎によ
って生み出された有名な『荒城の月』のモデルとなった。