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武市 半平太
たけち はんぺいた

号は、瑞山(ずいざん)。

□土佐藩重臣。
  土佐郷士の出身。
  江戸で桃井春蔵の道場に入り、鏡心
  明智流(きょうしんめいちりゅう)を修得。
  凄腕としてならした。

□尊王攘夷運動が盛んになると、諸藩
  の尊王派志士と交遊し、勤王論に感
  化される。

□土佐の下級武士や郷士を中心とする
  土佐勤王党を結成し、自ら党首として
  勤王運動を開始する。

□佐幕の公武合体派である吉田東洋を
  暗殺し、藩論を尊王攘夷に一変させ
  ることに成功。

□土佐藩主・山内豊範を擁して上洛する。
  公家や諸藩の志士と接近し、勅使東
  下には変名し姉小路公知に従う。

□8.18の政変により尊攘運動が後退し、
  公武合体派の勢いが増すと、公武合
  体派の元土佐藩主・山内容堂に憎ま
  れ、土佐勤王党は土佐藩より弾圧を
  受ける。
  武市は捕らえられ、獄死した。




 激しく勤王論を支持し、土佐藩西洋化を厳しく批判した。
 ついには、西洋化を推進する吉田東洋を刺殺し、土佐藩政を乗っ取る。
 藩内を勤王一色に染めるも、土佐藩主や後藤象二郎らの反撃に遭い、無念の失脚を見た。