三春藩 (みはるはん)
≪場所≫ 田村郡三春町
戊辰戦争が起こると東北・北陸諸藩で作る奥羽越
列藩同盟が結成され、三春藩もこれに参加した。
しかし、藩内では戦争実施に消極的な考えが強く
、反抗精神が煮え切らないまま、三春藩郷士で
勤王派の河野広中の進言にて、ついに新政府へ
の恭順を示した。
三春藩の藩主は戊辰戦争早期に新政府の岩倉
具視を介して、官軍救援の勅書を受けており、
勤王派への下準備はできていた。
勤王への忠誠を誓った三春藩は、東北へと進軍
してきた官軍を迎え入れ、藩主自らも城外に出て
歓迎した。
そして、藩内が勤王派一色となった中、その先導
者となったのが、水戸藩の天狗党へ参加した経験
を持つ河野広中であった。
明治時代に突入すると河野はすぐれた指導力を
発揮し、東北における民権運動の中核を成した。
が、福島事件(※福島県下の自由党員・農民に対
する弾圧事件)で国事犯として入獄してしまう。
しかし、出所後は代議士として出馬し、国事に携
わると、後には衆議院議長や農商務大臣など政府
要職を歴任した。
この河野の活躍を受けて、東北各地でも多くの
民権運動家が育ち、福島事件や加波山(かばさん)
事件(※急進的な自由党員が茨城県加波山に
挙兵した事件)など民権運動に加わり、促進させ
ていった。