斗南藩 (となんはん)
≪場所≫ むつ市
会津戦争後、会津松平氏は御家断絶となったが、やがて
再興を許され、転封の末、拝領した土地は、不毛の大地
であった。
石高三万石というが、実質的な石高は7000石程度であり、
会津藩だったころ23万石を数えた大藩にとっては、耐え難
い苦難の日々を送った。
藩名を斗南としたのは、中国の詩文「北斗以南ハ皆帝州」
から取ったもので、朝敵・賊軍の枠組みを超え、同じように
北斗七星を頂く平等を謳い、願いを込めてつけたという。
厳しい冬と貧窮した経済のために多くのものが藩から脱出
する始末だったが、辛苦を耐え忍び、成功した者もいた。
その代表的な人物に広沢安任(ひろさわやすとう)がいる。
イギリス人の協力を得て、西洋式畜産興業を成し、成功を
収めた。