土浦藩 (つちうらはん)
≪場所≫ 土浦市


土浦藩から出た大久保要(おおくぼかなめ)は尊攘派
志士であった。
大久保は水戸藩の藤田東湖や会沢正志斉らの影響を
受け、尊攘の活動を行っている。
藩主が大坂城代に就任すると大久保は、天保山砲台
築造のために大砲鋳造に尽力した。
1854年(安政元年)には、通商条約の締結を迫ってきた
ロシアの提督・プチャーチンとの交渉にもあたり、難局を
打開している。

欧米諸国の切迫した交渉により、幕府は勅許を得ない
まま、日米修好通商条約に調印してしまうと、大久保は
これをたしなめる「戊牛の密勅(ぼごのみっちょく)」を
水戸に下すため、画策した梅田雲浜と緊密な連絡を
取り合い、助勢したとされる。

安政の大獄の事実上の遂行者・幕府老中の間部詮勝
に対して、要撃事件が起きると大久保はこれに連座し
て、捕縛された。
禁固処分となり、失意のうちに没した。