吹上藩 (ふきあげはん)
≪場所≫ 栃木市
幕末動乱も終盤を迎えた、1867年(慶応3年)11月、西郷
隆盛・大久保利通ら新政府側の策士たちによって、討幕
の大義名分を得る計画が練られた。
15代目将軍・徳川慶喜は、討幕の名目を失わせるべく、
大政奉還を成し、西郷ら討幕派の出鼻をくじいた。
あくまでも恭順に徹する幕府に対し、討幕する大義名分
を必要とした新政府側は、江戸の市中を乱して、幕府側
の反感を強める作戦に出た。
西郷らの密命を帯びた、関東下総の相楽総三(さがらそう
ぞう)は江戸・関東のかく乱を起こし、幕府側を怒らせる
作戦を遂行した。
その一環として、近郷農村から有志を募り、栃木市出流
(いずる)で倒幕の旗を揚げさせた。
各地を転戦した倒幕軍は、一時は関東を混乱させたかに
見えた。しかし、官軍の到来は程遠く、救援無比にして、
幕府軍の討伐部隊に各個撃破され、敗北した。
捕らえられた四十数名は佐野市大橋にて斬首された。
時代の流れを敏感に感じ取り、新政府側について、倒幕
の部隊を組織したまでは、よかったが時期尚早すぎたこと
もあって、支援のないまま孤立に応戦しなくてはならなか
ったところに悲運があった。
しかし、彼らの捨石的な命がけの行動が、倒幕の大義
名分を新政府側が手にする事ができ、時代の変換が
素早く行われたことからすると、その起爆剤として歴史を
推進させた意義は大きいものがあるといえるだろう。