佐野藩 (さのはん)
≪場所≫ 佐野市


 大政奉還が成され、幕府組織が国政から身を引くと、
天皇・朝廷を中心とする新政府が、国政の一切を取り仕
切らなくてはならなくなった。
 しかし、数百年もの間、国政らしい諸事をこなしていな
かった天皇・朝廷に幕府でさえ困惑していた政事にどう
して携われようか。
 こうして、困惑し混乱をきたした朝廷組織に対して、
旧幕府側がおもむろに巻き返しに出てきたのである。
旧幕府は元将軍の徳川慶喜を先導者として、朝廷に
国政を再度、委任するよう迫ってきたのである。
 朝廷側も混迷極まりない政局をいきなり任せられても
無理であったので、既存の国政機関であった旧幕府に
もう一度、再任させようと考える意見が出てきていた。
 これに焦ったのが、討幕を高らかに謳った岩倉具視
や三条実美などの公卿と薩長両藩であった。
 幕府を政局から排斥しようと運動していたこれら討幕
派は、もしも、再び国政を旧幕府が再任されようものな
ら、自分たちは排除されてしまう。
 命を失う窮地に立たされた西郷隆盛は、江戸にて兵乱
を起こさせ、旧幕府が新政府に対して、反抗的な態度
を示すように戦乱の誘発を計画した。
 西郷の命を受けた、相楽総三らは、江戸を中心に関東
一円に荒くれ者をかき集め、強盗や放火を起こし、旧幕府
を怒らせようとした。
 旧幕府側も朝廷から国政の再任を頼まれるまでは、なん
としても新政府に関連するものを処罰できない。旧幕府側
は、堪忍して相楽たち暴徒のやりたい放題にさせていた。

 しかし、この堪忍袋も江戸警備に携わっていた庄内藩の
藩邸に相楽たちが大砲をぶっ放したことで、完全に破裂し
たのであった。
 庄内藩士、旧幕府の幕吏たちは、こぞって相楽が隠れて
いる江戸薩摩藩邸になだれ込み、これを包囲した。こうして
薩摩藩邸は旧幕府側に襲撃され、炎上した。
 相楽たちは海路、大坂へと落ち延びていったが、相楽の
一味は、江戸や関東一円で盗賊活動を成していて、逃げ
遅れた。旧幕府側はこれら相楽の一味を討伐すべく、軍兵
を派兵し、これに敗退した相楽の一味40名余りが捕縛され
、佐野藩内の大橋で処刑されている。