安中藩 (あんなかはん)
≪場所≫ 安中市
安中藩出身に新島襄がいる。
幼名は七五三太(しめた)といい、江戸の安中藩邸で生
まれた。
14歳の時から蘭学を学びはじめ、その後に長崎にある
海軍伝習所へ遊学した。
新島が先進の西洋学を学んでいる頃、安中藩では、
盛んになりつつあった蘭学修業が禁じられ、優柔不断
な佐幕派が藩政を牛耳った。
そのため、新島の進歩的な思想は藩内に受け入れら
れるはずもはく、たまりかねた新島は1864年(元治元年
)6月にアメリカ船に便乗し、密航するという挙行に出た。
すでに日本ではアメリカとの開国がなされていたが、未だ
に国内ではキリスト教が禁止され、自由な渡航も厳禁で
あった。
そのため、新島の強行は危険な冒険であった。
渡米した新島は、10年間アメリカに滞在し、その間にアマ
−スト大学やアンドバー神学校で学問を熱心に学んだ。
また、洗礼を受けてキリスト教徒となっている。
帰国後、安中で布教を成し、三十数名の信者を得て、
安中教会を設立し、日本国内のキリスト教基盤を作った。
さらにアメリカの組合派ミッションの資金援助を得て、京都
に同志社英学校を設立し、国内の英語力強化に勤めた。
ついで、大隈重信・井上馨・渋沢栄一・岩崎弥之助らの
支援も受けて、同志社大学を設立し、日本国内の学力強化
と伝道に貢献した。
また、新島の妻は会津戦争にて男装して夜襲隊に加わった
女傑・山本八重子(やまもとやえこ)であった。