加賀藩 かがはん
≪場所≫ 金沢市


 加賀藩は前田利家を藩祖とする江戸幕藩体制屈指の
大藩である。加賀100万石と謳われた石高も18世紀初頭
には新田開発に成功し、実質石高130万石という巨大な
藩となっている。
 加賀藩からは五代藩主・前田綱紀(まえだつなのり)が
出て、前田藩は最盛期を迎える。儒学者の木下順庵、
室鳩巣らを金沢に招き、文化隆盛を成している。
 また、特産品として、九谷焼(くたにやき)・加賀蒔絵・
輪島塗など美術工芸品を多数排出し、巨利を得るに至
った。しかし、幕末に進むにつれて藩の財政は悪化し、
財政赤字は累積する一方であったという。
 大地震と大凶作が重なり、1858年(安政5年)に起きた
大規模な打ちこわしや農民の反乱が相次ぎ、加賀藩の
権勢はことごとく緩んだ。
 その間にも支藩であるはずの富山藩が”富山の薬売り”
にて巨利を蓄え、本家を出し抜いて、幕府に政治工作を
成し、親藩になろうと企むなど当代随一の大藩と謳われた
加賀藩の面目は失墜した。
 こうした諸々の問題を抱えた加賀藩は石高に見合うだけ
の雄藩振りを見せることができず、幕末動乱の政局に乗り
遅れる結果を招いている。

 鳥羽・伏見の戦いの折には、佐幕派を貫いて、京都へ
藩軍を出陣させたが、行軍途中で幕府軍が敗北した報告
を受けて、急きょ軍勢を帰藩させ、新政府に恭順する姿勢
を見せている。
 その後、北越戦争に借り出された加賀藩は、大藩という
こともあって、7600もの大軍を出陣させている。しかし、
薩長にあごで扱われるなど、大藩として新政府で権勢を
振るうことは到底望めず、不遇を受けながら維新を迎えて
いる。