大野藩 おおのはん
≪場所≫ 大野市
大野藩は美濃と越前の間に挟まれた要衝の地に領土
を設けており、石高4万石といわれながらも、実質石高は、
1万石程度であった。そのため、藩財政は貧窮し、苦しい
生活を強いられていた。
その後、七代藩主・土井利忠(どいとしただ)が出ると、
一躍にして藩の財政は改善を見るに至っている。
利忠はまず、生糸・漆・煙草などの物産を藩の専売とし
、藩の直営店である「大野屋」を全国の主要な都市十数
か所に設けて、巨利を得るに至る。
また、利忠は開明的な思想の持ち主で、藩の財政を立て
直すだけでなく、藩校・明倫館を創設して、学問の隆興にも
尽力している。
特に蘭学に強い関心を寄せていた利忠は、これからの
時代は西洋の進んだ学問に身を投じるべきと考え、藩士
たちを緒方洪庵が大坂で開いていた適塾に学ばせて、
進歩的な学問の刷新を図っている。
そして、海防の急務も悟り、西洋式軍制を採用して、藩軍
の再編成を成すとともに、西洋式鉄砲の製造にまで手がけ
て、藩の隆興振りを全面的に指揮した。