小浜藩 おばまはん
≪場所≫ 小浜市


 小浜藩の藩祖は、3代将軍・徳川家光の信任厚かった
大老の酒井忠勝である。
 佐幕派としての度合いが強い小浜藩であったが、江戸
中期には、蘭学の権威ともいえる杉田玄白が出ている。
 玄白の家系は代々・小浜藩主の外科医を務め、玄白
自身も藩医として腕を振るっていた。玄白は江戸にて、
オランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」が正確な情報
を記していることを発見し、このオランダ語で書かれた
本の翻訳に取り掛かった。
 こうして、日本医学史の金字塔にして、蘭書の翻訳の
大典となった「解体新書」が生まれたのである。

 小浜藩全体では、佐幕の姿勢が強かったものの、異色
の人物が出ている。尊攘志士として活躍した梅田雲浜
(うめだうんぴん)である。
 梅田が京都にて尊攘運動に奔走していた頃、井伊大老
の腹心として京都所司代に任官したのが小浜藩主・酒井
忠義(さかいただあき)である。忠義はかつて自分の家臣
であった梅田雲浜を捕縛する仕事に当たったのである。
 忠義は大いに苦慮したものの最後には、長野主膳の
強い要請にあい、梅田を捕縛することにした。その後、
幽閉された梅田は脚気にかかり、獄死している。