松本藩 (まつもとはん)
≪場所≫ 松本市


松本藩は譜代の藩であるだけに、幕末動乱の初めから幕府
の諸事に携わった。
和宮降嫁の道中護衛の任務を成し、水戸藩の天狗党が挙兵
するとこの鎮圧戦を展開し、和田峠合戦が勃発した。
ついで、長州征討戦にも藩兵を派兵し、多大な出費をもって
幕府を支え続けた。

1861年(文久元年)5月、江戸高輪東禅寺(たかなわとうぜ
んじ)にあったイギリス公使館が水戸藩浪士らによって、襲
撃された。この事件後、幕府は大垣藩・岸和田藩・松本藩
の三藩に警護を命じ、ならず者の浪士たちの暴挙を押さえ
込もうとした。
しかし、この警護で出仕していた松本藩士・伊藤軍兵衛(
いとうぐんべえ)は、イギリス人憎しの態度を見せ、イギリス
公使暗殺を独断で計画する。
しかし、この計画はイギリス人海兵隊に見つかり、未遂に
終った。伊藤は海兵2名を斬殺し、逃走を図ったが、自らも
刀傷と銃弾を浴び、失敗を悟って、自刃した。
この伊藤の暴挙に驚いた幕府は、松本藩主に差控えを
命じ、佐幕派としての活動も停滞していった。