浜松藩 (はままつはん)
≪場所≫ 浜松市


平田篤胤の門下が多く、平田国学の影響が強かった地域
である。
それゆえ、1854年(嘉永7年)9〜10月頃に8村10社の
神職が集まり、復古惟神(かんながら)の祈願祭を行った。
これがこの地での勤王活動の始まりとされている。
勤王の主な活動は、国学を研究する会合を持つ程度で
あった。中心指導者に尊王派の有賀豊秋(ありがとよあき)
がいた。会合の会員はほとんどが各村の神職や豪農の
青年たちであった。

戊辰戦争がはじまると会合では、1868年(慶応4年)2月に
尊王倒幕と官軍支援を決定した。
諏訪神社の杉浦大学の屋敷で遠州報国隊を発足させ、
参加者は300余人に達した。
浜松藩内の人物以外に掛川藩からも参加者があり、隊士
らの意気は盛んになった。
この報国隊の結成は、駿州赤心隊や伊豆の伊吹隊の結成
を誘発させるほど影響力を持った。

新政府軍が東進してくると報国隊は有栖川宮大総督の
率いる部隊に従軍し、上野彰義隊の攻撃から東北戦争
にまで参戦した。