郡上藩 (ぐんじょうはん) ※八幡藩 (はちまんはん)
≪場所≫ 郡上郡八幡町
大政奉還が成されると、藩内では藩存亡のためとして、
朝廷への恭順を早々に表明し、藩論は勤王に統一された。
しかし、江戸藩邸の藩士たちは、譜代の大名として徳川家
の恩義に報いるべしと息巻き、佐幕派の凌霜隊を結成した。
この江戸藩邸での藩士の動きに郡上藩では、黙認して、
密かに凌霜隊への支援を送ることにした。
藩士15名が脱藩したという形を取り、軍資金を与えて、支援
に向かわせたのである。
凌霜隊の隊長は江戸家老の子・朝比奈茂吉(あさひなもきち)
で、総勢38名(※一説には47名)が決起した。
少人数ではあったが、佐幕の志厚く、一騎当千の精鋭部隊
であった。部隊の士気も高く、旧幕府軍では大鳥圭介の部隊
に属して、各地を転戦した。
最後は会津藩若松城にたてこもり、官軍と死闘を演じたが、
ついに開城となり、武装解除をして長州・大垣藩兵に護送
され、帰郷した。
凌霜隊の隊士らの処遇は、はじめ全員死罪であったが、のち
に許されて、2年足らずの獄舎生活から釈放された。