膳所藩 (ぜぜはん)
≪場所≫ 大津市


近隣の彦根藩同様に、佐幕派の藩として幕府を支援した。
第二次征長の際には、将軍・家茂一行が藩内に宿泊する
こととなり、昼夜兼行で準備に右往左往した。
準備にごった返す藩に京都所司代から思わぬ通知が来る。
膳所藩の藩士が将軍暗殺を企んでいるので、将軍の宿泊
は取り止めとするとのこと。
これに驚いた膳所藩は、藩内にいる尊攘派の藩士たち三十
数名を捕らえ、獄舎に押し込み、暴徒を全て逮捕したので、
是非、将軍の宿泊をと幕府に嘆願した。
しかし、幕府の疑念は晴れず、将軍一行は休息しただけで
早々に膳所藩を通過していった。
藩の面目は丸つぶれとなり、この不祥事を決着すべく、藩は
獄舎に入れられていた尊攘派志士たち11名を処刑した。
この尊攘派志士を処刑したことで、膳所藩は維新後、しばら
くの間、新政府側から信頼されなかったという。

京都所司代では、膳所藩士で過激な尊攘派である川瀬
太宰(かわせだざい)を捕らえていたため、膳所藩への
疑念は晴れなかった。
太宰はペリー来航の衝撃を受け、海防急務を藩に訴え、
藩士たちに勤王倒幕の思想を吹き込み、脱藩したものを
支援して、長州などへの逃亡を助けた。
生野の変に際しても、尊攘の藩士らを参加させるなど尊攘
派の活動を盛んに行った。
熱狂的な尊攘派志士として京都所司代は捕らえた後、危険
人物として斬首に処した。