新宮藩 (しんぐうはん)
≪場所≫ 新宮市


新宮藩は、明治元年に入ってから、立藩されそれまでは中途
半端な独立的存在であった。
領主・水野忠央(みずのただなか)は、紀州藩城代家老を勤
め、紀州藩と深い関係を持つ。
13代紀州藩主・徳川慶福を幼少の頃から補佐役として仕え、
幕府大老・井伊直弼と結託して、慶福を将軍職に就けた首謀
者であった。
井伊直弼と盟約を結ぶほどの策士家で、目的のためには
手段を選ばない人物で、三人の妹を大奥に送り込み、将軍
の側室などにして、根回しを周到に成し、幕政を影で操ろう
と画策した。
井伊大老の腹心にして相談役を務めたが、必ずしも井伊大老
を仰ぎ見てはおらず、スキあらば井伊に取って代わろうと
する野心家であった。
14代将軍・家茂を幼少の頃に補佐した役得を活かし、幕府
執政を握ろうと画策するなど油断ならない簒奪者候補で
あった。

だが、井伊大老が桜田門外の変で斬殺されると忠央の政治
生命も終わりを告げ、幕府より蟄居を命ぜられ、新宮の地
にて、その生涯を終えた。