狭山藩 (さやまはん)
≪場所≫ 南河内郡狭山町


河内国が狭山藩の藩領であった。
大和にて挙兵した天誅組は、京都方広寺(ほうこうじ)
に集結した後、大坂を経て、堺に上陸し、1863年(文久3年)
8月16日富田林(とんだばやし)にある大庄屋・水郡善之祐
(にごりぜんのすけ)の家に到着した。

善之祐は肥後藩の宮部鼎蔵、筑前藩の平野国臣、三河の
松本奎堂ら尊攘派志士たちと親交が深かった豪農であった。
尊攘派の有志たちを支援していた善之祐は、天誅組に鉄砲
や軍資金を提供し、今回の挙兵にも率先して援助を惜しま
なかった。
天誅組が水郡邸に駐屯していると、河内勢十数名の有志も
これに加わり、その河内勢は五条の守備を固める役目を
負った。
敗退後は、龍神温泉まで敗走し、そこに布陣していた紀州
藩軍に自首している。