出石藩 (いずしはん)
≪場所≫ 出石郡出石町
出石藩からは池田草庵(いけだそうあん)が出ている。
草庵は”但馬聖人”と謳われた漢学者で京都で私塾を
開いた後、郷里に戻り、漢学塾・青谿書院(せいけいしょ
いん)を開いた。
自身を律することを旨とし、塾生600人余りと寝食をとも
にした。心眼を開いて経典を読み取ることの大切さを
門弟に教え、一挙一動によって教育を成した。
生野の変が勃発すると平田国臣に参加を誘われたが、
草庵はこれを断った。
しかし、門弟からは北垣晋太郎(きたがきしんたろう※
別名・国道。挙兵失敗後に長州藩へと逃亡し、その後、
戊辰戦争では鳥取藩兵として参戦し、活躍した。維新後
は、京都府知事を務め、琵琶湖疎水事業を成した)ら
有志たちが参加した。
その他に草庵の門弟で名を馳せたのは、久保田譲(
くぼたゆずる※第一次桂内閣の文部大臣を務めた)・
浜尾新(はまおあらた※東大総長。第二次松方内閣の
文部大臣を務めた)ら多数に上った。