竜野藩 (たつのはん)
≪場所≫ 竜野市


幕末期に名君と高評を博した藩主が出ている。
九代目藩主・脇坂安宅(わきざかやすおり)である。
藩政で民衆から好評を博し、幕府にもその政治手腕を認め
られて、京都所司代から老中へと昇進を果たした。

井伊大老が権勢を振るった時期に老中を務めており、
主に外国事務全般を取り扱っていた。
外国御用掛として務めていたのは、脇坂の他に太田・間部・
久世の四名で、いずれも西洋通とは言い難く、対外政策の
方針を決めるのに外国奉行など西洋通の者に万事詳細を
検討させて、その意見に従うだけだったという。

それゆえ、福地源一郎ら知識人たちから無能者扱いを受け
ていたが、幕政の基本として合議制に徹し、慎重な政務を
旨とした脇坂の姿勢が見える。

桜田門外の変で、井伊大老を斬殺した襲撃者たちは、ある
者は深手を負い、その場で自刃し、ある者は逃亡し、ある
者は自首した。
そして、その自首した者が向かった先が脇坂邸であった。
襲撃者の斎藤監物ら四名は脇坂邸に赴き、自首して、襲撃
者一同を代表して、長文の斬奸趣意書を提出し、狂乱に
至ったいきさつを述べた。

井伊大老の強硬な態度が浪士たちの狂乱となって、幕臣を
殺傷するまで至ったことで、幕政を預かる老中らには強い
批判と幕政を失墜させた責任を負わされる運命となった。
脇坂も例外なく、1860年11月に病気を理由に老中職を辞任
したが、実際のところは桜田門外の変の責任を負わされた
形の罷免であった。