松江藩 まつえはん
≪場所≫ 松江市
松江藩は親藩であり、佐幕の姿勢を現していた。
二度の長州征伐戦にも出兵を成して、佐幕派の先鋒として
長州藩と当たった。
鳥羽・伏見の戦いでは、幕府から京都守護を命ぜられて、
出兵していた。この藩軍のため、食糧運搬を成した汽船・
八雲丸(やぐもまる)であったが、航行途中で故障し、やむ
なく宮津に寄港している。
この時、山陰道鎮撫使が宮津近くまで来ており、長州・
鳥取の二藩軍がこの寄港していた松江藩軍の調査に当た
った。佐幕の姿勢を見せていた松江藩の所有する船という
ことで、八雲丸は新政府が没収すると通達してきたが、
その後、鳥取藩の取り成しで没収を免れている。
松江藩が管理を任されていた天領・隠岐からは、尊攘派
志士を輩出している。中沼了三(なかぬまりょうぞう)は、
天誅組挙兵に参画し、尊攘運動を盛んとした。
隠岐随一の宮水若酢神社の神官・忌部正弘(いんべまさ
ひろ)、中西毅男(なかにしたけお)、井上香彦(いのうえ
かひこ)らも尊攘運動を成し、正義党を結成している。
正義党は郡代を追放し、島民による合議制統治を開始し
、自治政治を形成した。その後、松江藩は軍兵を派遣して、
正義党の兵乱鎮圧を成し、自治政権は52日間だけに留ま
った。
その後、長州藩や鳥取藩から非難を受けた松江藩は、
正義党の存続を認め、自治政権が復活している。