徳島藩 とくしまはん
≪場所≫ 徳島市


 西南雄藩がひしめく中、近畿の京都とも挟まれている
徳島藩は、それほど鮮明な佐幕派の姿勢を現すことが
できなかった。
 しかし、外様大名でありながら、徳島藩の藩主・蜂須賀
家は、幕府の徳川家と仲がよく、心情的には佐幕派で
あった。ただ、時代の流れには逆らえず、勤王派の思想
を捨てきれなかった。
 藩内からも有力家臣が勤王派を現し、数多くの藩士が
尊攘運動に身を投じている。徳島藩の筆頭家老で淡路
と美馬郡を領する稲田九郎兵衛稙誠(いなだくろうひょう
えたねのぶ)が熱心な勤王姿勢を現した。
 淡路は海上の重要な拠点であったことから海防の必要
性が高まっていた。そのため、勤王の有志が藩内から
数多く出たのである。
 工藤剛太郎・南薫風・美馬援造・尾形長栄ら尊攘の志
士たちは、討幕運動にも参加したため、新選組など幕吏
たちから命を狙われた。