亀山社中



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薩長同盟締結を斡旋す!


 亀山社中は、軍需品運送から薩長同盟の斡旋、
第二次征長で長州藩を援護するなど幅広く活躍
した。この活躍はひとえに坂本龍馬の天才的な活
動の結果である。

 坂本龍馬は、勝海舟が塾頭を勤める幕府運営
の海軍操練所が閉鎖されると、行き場を失い、
途方に暮れた。そんな中、勝の周旋で、薩摩藩士
・西郷隆盛の世話になることとなった。
西郷は龍馬と海軍操練所門下生たちを大坂の薩摩
藩邸にかくまい、彼らが身につけた航海術を活用し
ようと考えた。その後、龍馬は西郷と薩摩藩家老・
小松帯刀に連れられて、鹿児島へ行き、西郷の実
家に厄介になった。

 1865年(慶応元年)5月、小松帯刀が長崎出張を
することになり、龍馬はこれに同行して、長崎へ行き
、龍馬の提案で長崎亀山の地に海運業を営む会社
を起こすことになった。資金の出資者は薩摩藩が請
け負い、龍馬を中心に海軍操練所の門下生たちを
社員として、国内最初の総合商社が誕生した。

 社員には、土佐藩士・新宮馬之助、近藤長次郎、
千屋虎之助、沢村惣之助、高松太郎、紀州藩士・
陸奥宗光、越後出身の白峰駿馬(しらみねしゅんめ
)らであった。

 亀山社中は、当時、長州藩で内部革命を起こし、
藩の主導権を握っていた高杉晋作たちの要求する
西洋武器購入を請け負った。
 当時の長州藩では、下関戦争で四国連合艦隊と
戦ったいきさつから、欧米諸国から武器を購入でき
なかった。外国商人が四カ国覚書と幕府の圧力に
よって、武器を長州藩へは売らなかった。
 第二次征長がまじかに迫り、長州藩は何が何でも
最新の西洋兵器を装備しなくてはならなかった。
そこで、龍馬は薩摩藩名義で社中が武器を買い付
けて、それを長州藩に運送して渡す方法を考えつき
、これを見事成功させて、長州藩の危機を救った。
 一方、薩摩藩では米が不足して、困っていたが、
ちょうど長州藩では米が余っているということで、
龍馬の仲介で薩摩藩は長州藩から米を購入する
ことができた。
 こうして、龍馬を仲介として薩長両藩は、禁門の変
以来、犬猿の仲といわれていたわだかまりを解消し
、次第に接近していった。

 また、長州藩が汽船をほしがると、社中は、イギリ
ス商人・グラバーから汽船ユニオン号を購入し、代
金3万7700両を長州藩が出し、名義は薩摩藩として
幕吏らの目をごまかした。
 こうした、薩長両藩の協調が取れだしたことで、
龍馬は薩長同盟を斡旋した。互いに西南雄藩が手
を取り合って、国内統一を成すために邪魔な幕府を
倒し、天皇を頂点とする統一国家を実現しようと、
双方に持ちかけたのだ。
 この龍馬の理論に納豆した両藩は、薩摩藩からは
西郷隆盛、長州藩からは桂小五郎が出席して、
1866年(慶応2年)1月に薩長同盟は締結された。
 この同盟によって、長州藩が幕府に攻められた時
には、薩摩藩があらゆる手を使って、長州藩を助け
ることが約束され、また、倒幕して天皇を頂点とする
新しい統一国家を作るために協力し合うことが決ま
った。

 この薩長同盟が締結されてから、まもなくして龍馬
は伏見の寺田屋にいるところを幕吏に襲われ、親指
を斬られながら、何とか危機を脱している。

 イギリス商人から購入したユニオン号を龍馬は、
薩摩藩から長州藩へ持っていくことになるが、下関
に到着したちょうどその時、幕府軍による第二次長
州征伐が開始された。
 早速、薩長同盟の密約どおり武装を整えた亀山社
中の社員たちは、長州の軍艦・庚申丸(こうしんまる
)を操縦して、幕府軍が布陣する門司を砲撃した。
 この砲撃の中、高杉晋作は奇兵隊・報国隊ら諸隊
を率いて、海峡を越え、幕府軍の陣所に火を放ち、
幕府軍艦隊も焼き打ちにして大勝利をおさめた。

 この亀山社中たちの援護射撃によって、勝利を飾
った長州藩は、その後も幕府軍をサンザンに苦しめ
、無敵の強さを誇った。
 幕府軍敗北の報せを受けた勝海舟は、「軍艦5隻
ほどを自分に貸してもらえば、下関を簡単に乗っ取
って見せましょう」と一橋慶喜に訴えたが、慶喜は「
また勝の大言がはじまったか」と笑って、取り合わ
なかったという。
 しかし、龍馬が一番恐れていたのは、勝が幕府軍
を指揮することであった。勝の軍才で長州藩の生命
線ともいえる下関を落されれば、もはや長州藩は滅
亡しかないと考えていたからだった。

 第二次征長戦後、亀山社中は大いに活躍したも
のの、戦争中に亀山社中が使用していた乙丑丸は
長州藩に返してしまい、その他の船も失っていたた
め、操業する船を欠き、社中の活動は停滞した。
 龍馬は、社中の今後の身の振り方を懸命に探し、
なんとか薩摩藩の五代友厚の斡旋で伊予大洲藩が
購入した汽船・いろは丸の運航を社中が行うなどの
代理航海士程度の仕事しか得られなかった。

 その後、龍馬は蝦夷(※北海道)開拓を夢見て、
蝦夷進出を目指したが、代金の支払いで売主であ
るプロシア商人・チョルシーとの間に争いを起こし、
北方開発の夢は断念してしまう。

 亀山社中の活躍は、薩摩藩と長州藩を結び付け、
新たな勢力形体を作り出した。薩長両藩が目指す
目標が、一緒と判断した龍馬は、持ち前の機転さを
活かして、同盟締結の斡旋という離れ業を成し遂
げた。
 同盟締結後は、薩長両藩の手足となって、時には
首脳となって働き、歴史を大きく変える功績を幾つも
成し遂げていった。龍馬自身だけでなく、社中の社
員たちにもさまざまな役目を課し、まさに縦横無尽
に海上を駆け巡り、社中全体が歴史転換の立役者
としたのは、素晴らしい采配振りであったと言える
だろう。






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