新政府の国家基本方針は、「五ヵ条の御誓文」 によって、1868年(慶応4年)3月14日に発布された 。予定されていた江戸総攻撃の前日であった。 「五ヵ条の御誓文」の原案は、越前藩士・由利公 正(ゆりきみまさ)が作成した。由利は後に新政府 の財政担当となっている。この原案は、鳥羽・伏見 の戦い直前に一晩で書かれたといわれるもので、 戦争を起こす以上、新政府側に大義名分が立つ 意義のある国家方針を打ち出した方がよいと考え て作られた。 この原案は土佐藩士・福岡孝悌、木戸孝允が 手直しなどをして、「五ヵ条の御誓文」として発布 された。「広ク公議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」と 始まり、個人独裁を排除して国政を執り行う旨が 書かれている。この国家の基本方針宣言は、広く 国民に対して宣言されたわけだが、発表のやり方 は、天皇が天地の神にこの方針に従うことを誓う という形で行われた。 そのため、天地の神を奉る祭壇に向かって、三 条実美が誓文を読み上げる古典的な形式で発表 が成された。 この誓文発表の翌日には、「五榜の掲示(ごぼう のけいじ)」と呼ばれる五つの太政官布告の高札 が出された。 第一札から第三札までは儒教道徳の倫理を勧 め、徒党を組んで訴訟行動などを起こしてはなら ないとして、打ちこわしや一揆の禁止を示した。 また、キリシタン・邪宗門の禁教を示し、幕府時代 と変わらない禁令を出している。 国交を結んでいる欧米列強は、キリスト教など の禁令事項に猛反対をした。新時代らしい内容と いえば、外国人への暴行を禁じ、万国公法に従う ことと記したもの程度であった。 誓文では、開明的な新しい政策を打ち出すと誓 いながら、民衆を統治するための禁令は、旧来ど おりのものを継承する形を取り、新政府に対する 統治姿勢は、旧幕府と余り変わらない秩序保守を 厳しく律していた。 |