蝦夷共和国



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蝦夷地に共和制国家、誕生す!


 榎本たち旧幕府軍は艦隊に乗って、蝦夷地へと
北上する計画を立てていたころの10月13日に明治
天皇が江戸城に入り、これを東京城と改称した。
新しい統一国家として明治政府は始動し始めたの
である。元号も慶応4年9月8日に明治と改称され、
一世一元の制が定められていた。

 一方、蝦夷地への出港した榎本艦隊は、10月20
日に蝦夷地に到着し、箱館より北に位置する鷲ノ
木沖に停泊した。榎本たちが蝦夷地に到着した時
期は、新暦で12月にあたり、積雪が30cmに達する
寒冷の季節であった。
 榎本たちはまず、蝦夷地にいる新政府側に対し
て、使者を送り、蝦夷地に来た趣旨を伝えようと
試みた。五稜郭にいる箱館府知事・清水谷公考
(しみずだにきんたる)のもとへ人見勝太郎と本多
幸七郎を遣わし、もしもの時のために護衛兵30名
も付属させた。

 吹雪の中を上陸させ、使者一行を箱館に向かわ
せた。その後、天候が回復した頃合を見て、約400
0人の部隊を上陸させ、蝦夷地攻略の作戦を立
てた。
 まず、大鳥圭介と土方歳三がそれぞれ別働隊を
率いて箱館へ進軍させ、五稜郭と箱館の占領を
目論んだ。
 一方、榎本軍が新政府側に徹底抗戦の姿勢を
取っていることを知った清水谷は、使者として派遣
されてきた人見たちに夜襲をかけ、討滅しようと謀
った。だが、関東・北陸・奥羽と激しい戦闘を経験
してきた人見たちは、巧みに応戦して、あっさりと
箱館府軍を敗走させた。
 榎本軍の圧倒的武力の前に清水谷は敗北し、
10月25日に秋田藩の軍艦・陽春に乗って、敗走
した。こうして、榎本は難なく箱館と五稜郭を占拠
し、榎本軍の本拠地とした。
 拠点を得た榎本は、松前藩に使者を送り、味方
するように要請したが、新政府側が有利と見てい
る松前藩は、要請に応えない。
 仕舞いには使者が斬られたことを契機に松前藩
が攻撃を仕掛けてきた。これに対して榎本軍は土
方が率いる700名の精鋭部隊を出陣させ、激しく
応戦した。また、蟠竜・回天の軍艦を海上から援
護砲撃をさせ、圧倒的武力を現した。
 11月5日には、松前藩の本拠・松前城が陥落し、
15日には江差(えさし)も占拠した。こうして榎本軍
は上陸してわずか1ヶ月余りで蝦夷地の大部分を
支配下に治めたのであった。
 この蝦夷地制覇戦で榎本軍は、予想外の多大な
損失を出してしまった。江差沖に停泊していた開
陽が大しけで暗礁に乗り上げてしまったのだ。
 榎本以下、乗組員全員が武器や荷物を持って、
陸上に避難した。その後も波は荒れて、数日後に
は開陽は完全に大破して、沈没してしまった。
 開陽は榎本艦隊の主力艦で、当時国内にあった
軍艦の中では随一の戦力を誇っていた。
開陽は2800トン、400馬力、26門を備え、最強・最
新鋭軍艦であった。
 また、この開陽を救援するために回天・神速の
ニ艦が向かったが、神速が機関の故障で座礁し、
使用不可能となってしまった。こうして、榎本艦隊
は新政府軍と戦う前にニ艦を失うという多大な被
害が出てしまった。

 榎本たちが蝦夷地統治に多忙を極めている時期
の11月初旬、イギリス・フランス両国の軍艦が箱館
に入港してきた。榎本と会見した英仏両艦長は、
榎本たちの一団体を蝦夷政権として承認する旨を
伝えてきた。「デ・ファクトの政権」(事実上の政権)
となった榎本政権に対して、英仏は国内干渉をし
ないことを約束し、厳正中立の立場を取った。

 12月15日に士官以下の投票によって、独立共和
国の総裁には榎本武揚が就き、副総裁には松平
太郎が就いた。こうして、共和制の下で蝦夷政権
は確立し、諸役が随時決まっていった。

 蝦夷共和国が成立すると榎本は、本営を五稜郭
に置き、松前・江差に鎮台を置いて、新政府軍来
襲に備える人事を行っていった。
 ついで、開拓奉行を設置して、部下250名を選抜
して、室蘭に移住させ、開拓をさせながら守備の
任にあたらせた。
 また、4000人を超す共和国家の役人や兵士たち
を養い、新たな軍備増強などを図らなくてはならな
いため、榎本は思い切った圧政を蝦夷地の市町
村に課した。市中の資産家たちに数万両の御用
金を課すとともに賭博や産地品の生産を奨励し
て、莫大な運上金を捻出させた。ついには偽金の
鋳造にまで手を伸ばし、運営資金の確保に全力
を上げた。

 その一方で箱館の大森海岸から一本木にかけ
て柵を立て、関門を設けるなどの土地整備を敢行
し、そのために多数の住民を普請工事のために
かり出した。
 こうした圧政による住民への過重は、多大なも
のとなり、榎本政権に対する民衆の評判はすこぶ
る悪かった。
 だが、こうした積極的な運営方針を現したことで
蝦夷地の開拓意欲は否応成しに盛んなものとなり
、その後の明治時代における蝦夷地開拓運動へ
と続いていくことと成った。




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