■鎖国日本を揺さぶる外国船の来航地図■
↑鎖国日本を揺さぶった欧米列強の来航地図
●アメリカの捕鯨船
幕末当時、アメリカではアジアの国々との貿易を求めていた。
また、捕鯨が盛んに行われ、大西洋では少なくなったマッコウクジラを
求めて、太平洋に進出してきた。
当然のように日本近海まで航海してくるようになった米国捕鯨船は、
水や食糧、石炭などの補給を必要とし、日本に補給港が必要となった。
1845年、アメリカの捕鯨船が江戸湾に現れるなど、補給港開設が急務
となった米国政府は、ペリー提督を派遣して、日本国との交渉に乗り出
してきた。
●初めての洋式船
ロシアの使節・プチャーチンも、ペリー来航のすぐ後に日本に来航。
しかし、幕府との外交交渉が長引き、その間に安政の大地震が起こり、
ロシア船を失ってしまった。
ロシア使節団の一行を帰国させるために、幕府は伊豆半島の戸田(へだ)
で洋式船を日本で始めて建造した。
この日本初の洋式船・ヘダ号は、進水式(しんすいしき)で、2本のマストを
持ち、約四十人乗りの小型船であった。