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大山 綱良
おおやま つなよし
1825-1877
享年53歳。

名称:熊次郎、正円、角右衛門、格之助
身分:薩摩藩士

□樺山家に生まれ、大山家の養子となっ
  ている。
  剣術を薬丸半左衛門から学び、居合抜
  きの達人であった。

□藩内の勤王一派であった精忠組に属し、
  尊攘運動を繰り広げた。京都にて尊攘
  運動の挙兵を計画するも島津久光の挙
  動禁止を受け、やむなく中止した。

  その後、寺田屋にこもる同志たちの説得
  にあたったが交渉は決裂となり、やむな
  く同志を斬った。
  この寺田屋事件後、大山は頭角を現し、
  西郷隆盛の下で藩政改革にあたった。

□戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府参謀を
  務め、戦場にて活躍したが、戦後は文官
  としての道を歩んだ。
  1871年(明治4年)に鹿児島県大参事と
  なり、1874年(明治7年)には、初代鹿児
  島県令となった。

  県令となっても西郷隆盛を支持して、政
  府の方針を無視した。私学校党に多大
  な支援を行い、さしずめ西郷王国の形成
  を成すことに尽力した。

  西南戦争が勃発するとますます西郷を
  支援し、公金を西郷軍の軍資金に当て
  るなど反政府の立場を取ったため、戦後
  に捕縛され、斬首となった。





 西郷隆盛を崇敬し、西郷王国設立に尽力した。西南戦争では、西郷隆盛らを支持し、影ながら支援し続けたが、明治政府ににらまれ、斬首された。