西郷 隆盛 (さいごう たかもり)
1827-1877 享年51歳。薩摩藩士。維新の三傑の一人。

大久保 利通 (おおくぼ としみち)
1830-1878 享年49歳。薩摩藩士。

島津 斉彬 (しまづ なりあきら)
1809-1858 享年50歳。薩摩藩主。

島津 久光 (しまづ ひさみつ)
1817-1887 享年71歳。薩摩藩島津家一門。

島津 忠義 (しまづ ただよし)
1840-1897 享年58歳。薩摩藩主。

島津 豊後 (しまづ ぶんご)
薩摩藩家老。

伊地知 正治 (いじち まさはる)
1828-1886 享年59歳。薩摩藩重臣。

黒田 清隆 (くろだ きよたか)
1840-1900 享年61歳。薩摩藩士。

五代 友厚 (ごだい ともあつ)
1835-1885 享年51歳。薩摩藩士。

有馬 新七 (ありま しんしち)
1825-1862 享年38歳。薩摩藩士。

田中 新兵衛 (たなか しんべい)
1832-1863 享年32歳。薩摩藩士。

中村 半次郎 (なかむら はんじろう)
1838-1877 享年40歳。薩摩藩士。

海江田 信義 (かえだ のぶよし)
1832-1906 享年75歳。薩摩藩士。

村田 新八 (むらた しんぱち)
?-1877 薩摩藩士。

別府 晋介 (べっぷ しんすけ)
?-1877

小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。
誰しもが頼りにした、維新最大の傑物。

実利の下では、盟友とて排除する非情の政治家。
鋭い政治手腕で、封建日本を開拓し、近代日本を目指した。

欧米列強の外圧を予見し、藩政改革を推し進めた。
近代的な工業を興し、維新の争乱に準備す。

薩摩の底力を朝廷、幕府に見せつけた。傲慢な態度が
幕府権勢を失墜。維新の激動を促進させた。

父・久光とともに藩政改革に尽力。王政復古、戊辰戦争
などで薩摩藩の活躍を支援する。

すぐれた事務能力により、薩摩藩の財政を潤した。
斉彬と対立するもその後、復帰し、薩摩藩の財政を支えた。

すぐれた軍才を発揮し、軍奉行として薩摩軍を率いた。
戊辰戦争まで活躍後、隠退し、殖産興業を推進した。

戊辰戦争にて、参謀を務め、軍才を発揮。維新後、北海道
の開拓に力を注ぎ、後に首相の座を射止めた。

上海、欧州へと渡海し、西洋諸国の社会をつぶさに見る。
帰国後、近代日本の興業に貢献した。

薩摩藩屈指の文武両道の雄才。過激な革命家として、
幕末に一石を投じようとしたが、寺田屋事件で死す。

”人斬り新兵衛”として、京都の人々を震え上がらせた。
凄腕の剣士として活躍するも、暗殺嫌疑で自刃す。

別名”人斬り半次郎”で名をうった剣豪。あの新選組も
恐れたほどの凄腕。戊辰戦争で西郷と共に死す。

薩摩藩の軍奉行として活躍。江戸に入り、軍制を布いた
が、大村益次郎と対立す。

西郷隆盛を兄として慕う忠臣。
西南戦争で西郷とともに奮戦するがあえなく戦死。

戊辰戦争で軍才を発揮。昇進し、明治政府で活躍するが
征韓論を唱え、富国論に敗れて、下野す。

薩摩藩 さつまはん
≪場所≫ 鹿児島市



 西南雄藩の筆頭を行く薩摩藩ではあったが、幕末時代
には同様に藩の財政難に直面し、その打開策が模索され
ていた。
薩摩藩の財政窮乏を救ったのは、薩摩藩士・調所広郷(
ずしょひろさと)であった。調所はまず、膨大に膨らんだ
藩の借金を強引に踏み倒し、藩収益の圧迫を緩めた。
 ついで、奄美三島の黒糖の専売を強化し、収益増強を
図るとともに琉球を通じて、中国・清国との貿易を推進し
た。また、密貿易にも手を伸ばし、莫大な利益を獲得する
ことに成功する。
 こうした非常手段に訴えた強引な財政建て直し策は、
功を奏して薩摩藩の財政難はミルミルうちに解決して
いった。幕末動乱を迎える前に薩摩藩は、確固とした財
源を得る機構を成すことができたことで、その後の動乱
に活躍するために欠くことのできない資金を確保したので
あった。
 藩の財政難を救った調所ではあったが、その後に薩摩
藩で起こった家督争いで英明と名高い島津斉彬を嫌って
島津久光側に立った。しかし、幕府の介入により、島津
斉彬が藩主の座に就き、調所の思惑は外れた。
 調所が稼いだ藩の財金は、島津斉彬が推し進めていく
西洋化の資金となった。斉彬は、日本国内随一と賞賛
されたほどの西洋通であったが、それ以上にその豊富な
知識を生かして、実践を成すことに勤めた。

 西洋溶鉱炉を建造し、良質なガラス・紡績・化学薬品・
農工具などを開発・生産させ、近代化に向けた殖産事業
を手広く展開したのであった。
 藩の財源確保と藩の西洋化方針を成したことで、薩摩
藩は当時の日本国内を代表する先進藩となっていった
のである。
 その後は、斉彬を中心とする国政参与の姿勢が取られ
、将軍継嗣問題や条約勅許問題など野心的に国政に
携わっていったが、井伊大老という天敵が現れて、半ば
挫折を味わう。
 反撃も斉彬の急死により、一時は活躍の場を失うも、
大久保利通らの巻き返しによって、島津久光が動き、
京都へ藩兵を率いて上洛するという豪快な政界デビュー
を果たすと一躍、薩摩藩は尊攘派の筆頭へとのし上がっ
ていった。
 その後は、公武合体側に立って、8・18の政変や禁門の
変を経て、公武合体政権を目指した。しかし、各藩の藩主
たちの統率は難しく、各藩主たちによる合議制の政権は
あえなく頓挫することとなる。
 その後は、土佐藩を仲介して、長州藩と和を結び、薩長
同盟にて、ついに倒幕思想に行き着く。長州藩と協力し
合い強敵・幕府と戦い、ついに戊辰戦争にて幕藩体制を
打ち崩した。

 その後は、薩長藩閥による明治新政府を樹立し、日本
の近代化を目指したが、途中で不平士族の問題につまず
き、あえなく薩摩藩の英雄・西郷隆盛を西南戦争にて失う
に至る。




大久保利通に従い、近代日本の治安維持に貢献した。

川路 利良 (かわじ としよし)
1834-1879 享年46歳。薩摩藩士。


兄・隆盛に負けずの軍才を現し、近代日本の軍制基盤に貢献した。

西郷 従道 (さいごう つぐみち)
1843-1902 享年60歳。薩摩藩士。


幕末動乱にあって、よく薩摩藩の活躍の場を作るために奔走する。
西郷・大久保とともに維新成就に貢献するも若くして没す。

小松 帯刀 (こまつ たてわき)
1835-1870 享年36歳。薩摩藩士。


西洋軍学を学び、近代日本の軍制組織に貢献した。

大山 巌 (おおやま いわお)
1842-1916 享年75歳。薩摩藩士。


戊辰戦争では、武官として活躍するも維新後は、文官となり県令を務める。
鹿児島にあって、西郷隆盛を支持し、西南戦争にて新政府に斬られた。

大山 綱良 (おおやま つなよし)
1825-1877 享年53歳。薩摩藩士。


戊辰戦争では、銃隊を率いて各地を転戦し、維新後は軍部組織の一翼
を担う。西南戦争では、西郷軍の第一陣として活躍した。

篠原 国幹 (しのはら くにもと)
1836-1877 享年42歳。薩摩藩士。