|
島津 久光
しまつ ひさみつ
1817-1887
享年71歳。
薩摩藩主・島津斉彬の異母弟。
□異母兄にして島津藩主であった島津
斉彬の死によって、藩主となった島津
忠義の後見役を勤め、『国父』として
薩摩藩政の実権を掌握した。
□急進派と佐幕保守派の両者を排して、
朝廷との間を妥協させようとする公武
合体派の中心人物となる。
□1862年、寺田屋騒動で倒幕派志士を
弾圧。
さらに、勅使・大原重徳を擁して江戸
に向かい幕政の改革を行った。
□江戸から薩摩本国への帰路途中、生
麦事件を引き起こし薩英戦争へと発展。
□1864年、禁門の変では、佐幕派の会津
藩と会薩同盟を結び、京都に暗躍した
長州藩を斥けた。
禁門の変後、一躍、公武合体派の中心
となったが、政策が思うように行かず、
薩摩へと戻った。
□維新後は、1874〜75年の間、左大臣を
務めたが、自己の保守的な意見が受け
入れられず、1876年職を辞す。
|
|
|
|
|
↑島津久光
京都に進行して、強硬な公武合体派として、その名を天下にしらしめた。
寺田屋騒動や江戸への幕政改革申請、生麦事件と強硬派として時代を揺るがした。
|
|
|
|
|
|