|
松平 春嶽
まつだいら しゅんがく
1828-1890
享年63歳。
名称;慶永(よしなが)
身分:田安家出身、福井藩主
□徳川御三卿の一つ、田安家に生まれる。
慶永11歳の時、福井藩主・松平斉善の
跡目を継いで藩主となる。
□早くから藩政刷新に尽力し、洋式軍隊を
編制し、幕府の権勢を強めようとする。
橋本左内や横井小楠など開明な逸材を
登用し、藩政改革を推進した。
□日米修好通商条約の調印を水戸の徳川
斉昭や薩摩の島津斉彬とともに反対
した。
□将軍問題では、徳川斉昭や島津斉彬とと
もに一橋慶喜を擁立しようとするが安政
の大獄で謹慎蟄居を命ぜられる。
□1862年(文久2年)、政事総裁職に就き、
将軍後見役の慶喜とともに幕政改革を
推進した。
□禁門の変で長州藩を京都より追い出す
と、春嶽は公武合体派の勢いを強め、
幕府の権限を盛り返そうとした。
参与会議(さんよかいぎ)を開き、春嶽
はこの会議を老中の上に置き、幕政の
中心にするよう求めたが、慶喜などが反
対し、会議は当初から分裂状態と
なった。
開国論を主張する幕府に対し、朝廷は
攘夷の立場を変えず、幕府と朝廷との
間で意見の食い違いが出る。
□第二次長州征伐が失敗に終ると、春嶽
や山内容は堂幕府の執政に失望し、越
前藩や土佐藩は公武合体の推進から離
脱していった。
□1867年、山内容堂らとともに将軍・徳川
慶喜に大政奉還を進言。
□維新後、議定、民部卿、大蔵卿などの要
職を歴任した。
|
|
|
|
|
幕政改革を推進した佐幕派。徳川慶喜とともに幕府権威の立て直しを目指したが、暴発する幕府兵士を押しとどめることができず、戊辰戦争を迎えた。
|
|
|
|
|
|