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由利 公正
ゆり きみまさ
1829-1909
享年81歳。

名称:石五郎、三岡八郎、義由、雲軒
身分:福井藩士


□由利は福井藩士・三岡義知(みつおか
  よしとも)の長男として生まれる。
  幼少期より貧しい家計を助け、菜園
  栽培、乗馬飼育など労働に励んだ。

□そんな由利の人生を変えたのは、熊本
  藩からやってきた横井小楠の影響で
  あった。
  小楠は開明な福井藩主・松平慶永の
  招きに応じて、はるばる熊本からやっ
  てきた逸材で、逼迫する福井藩の財政
  建て直しの任にあたったのである。

  この経世済民思想を掲げた小楠に共鳴
  した由利は、小楠に師事して実学主義を
  修学した。
  そして、小楠とともに藩財政の再建に
  尽力した。

□1858年(安政5年)、帰藩の旅路についた
  小楠に同行した由利は、下関で物産取
  引の実状を探り、長崎にては、オランダ
  商館と福井藩との生糸の交易が可能か
  どうかをつぶさに調査した。
  これら福井藩の藩財政の重要な交易ル
  ートの確保を調査した由利は、帰藩後、
  さっそく物産総会所の設立に務め、藩の
  貿易強化を目指した。

  その財務力を賞賛された由利は、藩主・
  慶永に重用されるようになり、ますます
  藩政改革に影響力を及ぼしたが、挙藩
  上洛をめぐる藩内抗争に巻き込まれ、
  由利は処罰を受ける。
  そして、1863年から四年間もの間、謹慎
  蟄居の身となる。

□その後、坂本龍馬とめぐり会い、龍馬は
  由利の持つ素晴らしく卓越した財務能力
  を高評し、1867年(慶応3年)、龍馬の推
  薦で新政府徴士参与に抜擢される。

  その後、関西の豪商たちと交渉し、新政
  府に必要な莫大な運営資金を融資して
  もらうことに成功し、新政府にとっては欠
  かすことのできない有能な事務官僚と
  なった。

  その後も太政官札の発行を建議して実
  現にこぎつけるなど新政府の統治政策
  に大きな貢献を成した。
  また、「五箇条の御誓文」の草案を起草
  した人物としても知られ、戊辰戦争の真
  っ只中にあって、戦争にはやる志士たち
  とは、違って法規をもって、新政府の存
  在確立を目指すなど根っからの文治派
  政治家であった。



 会計に明るく、坂本龍馬の知遇を得た。新政府に必要な軍資金調達に奔走し、活躍した。