山本 帯刀
やまもと たてわき
1845-1868
享年24歳。
□長岡藩牧野氏が成って以来、稲垣2家、牧野2家、
山本5家が家老職に就いたが、帯刀はその山本
一家の出である。
門閥家老であった帯刀だったが、聡明にして果断の
英才を現し、河井継之助の逸材を見抜き、思想や
意見をよく理解した。
□長岡藩の藩政改革の一環として知行3分の1減俸
という処置にも積極的に受け入れ、諸藩士らに模
範を示した。
戊辰戦争が勃発すると官軍北上に際して、自ら長
岡軍本陣を率いて勇敢に官軍と戦った。
長岡城陥落の際には自ら殿軍を率い、官軍の追撃
を阻止。木上から官軍を狙撃すると言う異才の軍略
振りを見せた。
□1868年9月8日、会津飯寺村に官軍が集結している
ことを察知した帯刀は一小隊を率いて出陣。
濃霧を利用して官軍壊滅を狙ったが、一隊が突出
してしまい逆に官軍に包囲され、捕らえられる。
官軍の将兵は帯刀の逸材を惜しみ、降伏を勧めた
が、帯刀はこの戦いは義戦であり、降伏の意志は
ないと明言。
楚囚(そしゅう)の辱めを受けた以上、早々に斬首を
願うと発し、同年9月9日、斬首された。
享年24歳。
後に帯刀の山本家は再興を果たし、かの有名な海
軍大将・山本五十六が継ぐことと成る。