楢山 佐渡
ならやま さど
身分:盛岡藩家老。
□盛岡藩の保守派を代表する家老で、革新派の頭目に
して家老の東中務とは対立した。
藩主・南部利剛の母を叔母に持つことから藩上層部
から多くの支持者を得ており、藩政に強い影響力を
持った。
□戊辰戦争が勃発すると革新派の東中務は、勤王思想
を説いて、内戦回避を主張したが、楢山はそれとは
反対に佐幕思想を打ち出し、藩論は真っ二つとなった。
その後、奥羽越列藩同盟が結成されると楢山はその
活動の中心人物となり、自ら藩兵を率いて出陣。
官軍と激戦を成したが、兵器の差をマザマザと見せ付
けられ大敗。
楢山は無念の失意を感じて自刃して果てた。