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横井 小楠
よこい しょうなん
1809-1869
享年61歳。

熊本藩士。
名は時存。号は沼山。
通称、平四郎。

□熊本藩士・横井時直の次男として生ま
  れる。
  小楠29歳の時、藩校・時習館の塾長と
  なる。

□1839年(天保10年)、江戸に出て、林家
  に学ぶ。
  藤田東湖ら知識人と交遊し、知識を広
  める。

□帰藩後、熊本で家塾小楠堂を開講。
  実学派の中心を成した。

□1855年頃から開国論を唱えたが、藩政に
  取り入れられず。

□1858年(安政5年)、福井藩主・松平慶永
  の招きに応じて、福井に赴き、藩政顧問
  となった。

□1862年(文久2年)、主君。・松平慶永が
  政事総裁に就くと小楠はその参謀となり
  、京都へと赴く。
  翌年の1863年(文久3年)に小楠は刺客
  に襲われ、刀を持たず、仲間を見捨てて
  逃げ出したため、謹慎処分を受ける。以
  後は京都の混乱を避けて、故郷の肥後
  に身を置いた。

□1868年、新政府に迎え入れられたが、
  欧米を信奉の元凶と誤解され、1869年、
  退朝の路上で暗殺された。

□小楠の思想は、豪商農層を背景とする
  重商主義であり、集権国家の樹立で
  あった。




 藩政顧問として、福井藩の藩政改革に携わった。
 新政府でも、政治顧問として大いに活躍が期待されたが、無念にも惨殺されてしまった。