細川 斉護 (ほそかわ なりもり)
熊本藩主。
藩の財政改善を目指し、藩政改革を推進。横井小楠など優秀な人材を
活用するも派閥争いを引き起こし、藩内統制に手を焼く。
長岡 監物 (ながおか けんもつ)
熊本藩士。
江戸藩邸家老として、重きを成し、藤田東湖や西郷隆盛と親交を深める。
幕政改革運動に深く介入したとして、国許より罷免の処置を受ける。
横井 小楠 (よこい しょうなん)
1809-1869 享年61歳。熊本藩士。
江戸遊学を成し、帰藩後は私塾を開いて開国論を展開。国許で受け入れ
られず、福井藩の招きによって実力を発揮した。
宮部 鼎蔵 (みやべ ていぞう)
1820-1864 享年45歳。熊本藩士。
尊攘派志士として、京都を中心に活躍。諸藩の有志たちと協議を重ね尊攘派
運動を推進したが、池田屋事件にて無念の生涯を閉じる。
元田 永孚 (もとだ ながやす)
1818-1891 享年74歳。熊本藩士。
熊本藩を代表する漢学者。
維新後は、宮内省に出仕して、近代日本創生に貢献す。
河上 彦斎 (かわかみ げんさい)
1834-1871 享年38歳。熊本藩士。
”人斬り彦斎”の異名を持ち、一抜必殺の極限・彦斎流をあみ出す。
幕末随一の学者・佐久間象山を惨殺す。
太田黒 伴雄 (おおたぐろ ともお)
1835-1876 享年42歳。 神官。
熊本尊攘の連合組織・神風連の首領と成り、頑固な尊攘思想を貫く。
新政府の開国政策に憤激し、神風連の乱を引き起こすも、大敗す。
熊本藩 くまもとはん
≪場所≫ 熊本市
熊本藩からは、幕末の志士でも屈指の逸材である
横井小楠(よこいしょうなん)が出ている。小楠は水戸藩
の改革派に影響を受け、藩の改革案を提唱し、一部の
家老たちから支持を受けた。
しかし、藩政を主導する一派からは危険視されて、小楠
を支持した家老たちは職を罷免されている。
その後、8・18の政変の際に小楠は、郷士・豪農層と
結んで藩政改革から尊攘倒幕運動を展開するまでに
活動範囲を広げている。
長州征伐戦では、積極的に藩軍を出陣させ、第二次
の役では、長州軍に果敢に戦いを挑んで、戦死者を出
している。