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河上 彦斎
かわかみ げんさい
1834-1871
享年38歳。

熊本藩士。
のち高田源兵衛(たかだげんべえ)と改名。

□幕末に吹き荒れた天誅テロ行為”人斬り”
  の実行犯の一人。
  単なる荒くれ者ではなく、列記とした憂
  国者であったところに彦斎の特異性が
  ある。

□詩歌・文を儒学者の轟木武兵衛から学び
  、兵学を宮部鼎蔵に学ぶ。
  彦斎の師匠である両者は、肥後尊攘派
  の中枢人物であった。そのため、彦斎も
  尊攘派思想に没頭し、幕末における過
  激な憂国者となり、天誅行為に走った。

  また、神風連の総帥・林桜園(はやしお
  うえん)に国学を学び、尊攘思想を深
  めた。

□1864年、禁門の変直後に佐久間象山を
  白昼堂々、斬殺した。象山は一橋慶喜
  に招かれて、京都に来ており、開明思想
  を展開していたため、尊攘派志士たち
  から憎まれていた。
  彦斎はその最たるものとして、天誅の名
  の下に斬殺を敢行したのであった。

□高杉晋作ら長州藩改革派と結び勢力を
  拡大。

□明治4年反政府事件に参加したかどで処
  刑に処される。かつての盟友・木戸孝允
  の進言によって、刑死となったといわれ
  ている。
  それだけ、新政府にとって、彦斎の存在
  は恐ろしいものと捕らえられていたよう
  である。
  後に冤罪(えんざい)が認められ、彦斎
  は無罪となっている。



 ”人斬り彦斎”との異名を取り、京都にて暗躍した。
 佐久間象山を一刀両断のもとに斬り捨てた。
一撃必殺の”彦斎流”を武器に志士たちを恐れさせたが、維新後、政府に捕縛され、斬首された。