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赤根 武人
あかね たけと
1838-1866
享年29歳。

名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平

□赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して
  おり、なかなか多くの勉学を得ている。

  海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、
  郷校・克己堂(こうきどう)でも学んで
  いる。
  さらには、梅田雲浜の門弟ともなり、学
  識を広げている。

  1858年(安政5年)、梅田雲浜が安政の
  大獄にあい捕縛されると、赤根は証拠と
  なる梅田の書簡をすべて焼き払ったの
  は有名である。

□1863年(文久3年)1月、赤根は高杉晋作
  、伊藤俊輔らとともに恩師・吉田松陰の
  遺骨を改葬している。
  同年6月には、高杉らと謀って、民兵組
  織である奇兵隊を創設した。
  同年10月4日には、初代奇兵隊総督に
  就いている。

□1864年(元治元年)8月、四カ国連合艦隊
  と下関にて激戦した際、赤根は奇兵隊を
  率いて、出陣している。
  この頃、赤根は長州藩の藩政の要職に
  もついて、尊攘派藩士として活躍して
  いた。

  しかし、下関戦争、禁門の変などで尊攘
  派の失態が相次ぐと、藩内の保守派が
  台頭してきた。
  身の危険を察知して、九州の地に逃れ
  ていた高杉が急きょ1864年の暮れに帰
  藩すると革命戦を主張した。
  赤根はこれに強硬に反対し、脱藩した。
  脱藩後は、新選組の伊東甲子太郎の下
  に身を寄せている。

□1866年(慶応2年)1月、身の危険を感じ
  た赤根は新選組の追ってを逃れて、長
  州藩へと帰藩した。
  しかし、革命を成した長州藩では、赤根
  を幕府の密偵と嫌疑し、ろくな取り調べ
  もしないで、斬首された。




 一時は、奇兵隊総督として、長州藩屈指の活躍藩士となったが、時代に翻弄され、無念な最後を遂げた。