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前原 一誠
まえばら いっせい
1834-1876
享年43歳。

名称:佐世八十郎、彦太郎、号は太虚洞、
    行屍散人

□1857年(安政4年)10月、前原は松下
  村塾に入る。
  松陰は「勇あり、智あり、誠実人に過ぐ」
  と前原を高評している。
  以後は、長州藩の要職を歴任し、戊辰
  戦争では、北越方面戦で活躍を見せ、
  後に越後府判事となっている。
  戦後功績により、永世賞典600石を受け
  ている。

□1868年(慶応4年)7月には、参議に就き、
  12月には兵部大輔となっている。
  1870年(明治3年)9月に病気療養のた
  め政府要職を辞職する。
  1876年(明治9年)11月、不平士族の首
  領となり、萩の乱を起こすも、政府軍の
  鎮圧戦に敗退し、死す。




 智勇兼備の人物と恩師・吉田松陰に評価された一誠だったが、新政府の急激な西洋化に反発。
 ”萩の乱”を起こし、新政府の改革を求めたが失敗に終わった。