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神保 修理
じんぼ しゅり
1816〜1868
享年53歳



□家柄は、代々、会津藩家老職1800石の
  大身で、神保修理もまた、家業を受け
  継ぎ、家老職を務めている。
  実弟には、禁門の変で会津軍を率いて
  活躍した神保内蔵助利孝がいる。

□京都守護職に就いた藩主・松平容保
  に従い上洛。
  国事にかかわる重要な職務に就き、
  奔走する。

□1864年(元治元年)7月、禁門の変が起きると、修理の弟・内蔵助は、会津藩の一部隊を率いて、伏見街道に出陣。討幕に息巻く久留米藩士の真木和泉らが率いる一隊を攻め立てた。
 真木らは、会津藩の軍勢に攻め立てられ、京都・山崎の天王山へと追いつめられると逃げ場を失い、真木らは、自害して果てた。
 こうして、討幕を目指して挙兵した、真木らの軍勢から京都の町を守った英雄として、会津藩は、京都庶民から絶大な評価と人気を得ることになる。

□藩内では、会津藩筆頭家老の西郷頼母
 とともに、非戦論を唱え、平和な形での
 明治維新を迎えることを望んだ。

□将軍・徳川慶喜、藩主・松平容保に対し、
  勝海舟らと共に恭順論を説くが失敗。幽
  閉に処される。
  目立った功績を挙げられず失意のうちに
  藩命により、切腹して果てた。