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徳川 家定
(とくがわ いえさだ)



□ペリー来航直後に徳川十三代将軍に
  就任する。

□体が弱く、いつもからだがブルブルと
  震えていた有り様で、とても激動の時代
  にあって、将軍の激務をこなすことは不
  可能であった。

□外国との条約締結問題で朝廷と幕府間
  での対立が激しさを増し、将軍継嗣問題
  も深刻化を増した中、没した。

  家定が没した後、家定に実子がいなか
  ったことで、将軍継嗣問題が勃発する。
  この将軍継嗣問題によって、安政の大
  獄が起き、幕府補強を目指した一橋派
  が衰退した。

  この弾圧を行った幕府保守派で大老の
  井伊直弼が桜田門外の変で討たれる
  と、幕府保守派の威勢をそいだ。

  家定が没したことにより生まれた将軍
  継嗣問題によって、幕府中心の政治権
  勢から幕府権勢の失墜へと時代は移
  行することになった。





↑徳川家定
 西洋諸国からの来航が相次ぐ中、幕府財政に苦しむ難局に当たるだけの体調を持ち合わせていなかった。