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徳川 家茂  1848-1866
(とくがわ いえもち)
享年19歳。

諱:慶福(よしとみ)、家茂
院:昭徳院

江戸幕府14代将軍。
紀州藩主・徳川斉順の長男。
名は慶福(よしとみ)で、後に家茂と改名。

□十三代紀州藩主・徳川斉順(なりゆき)の
  長男として、江戸で誕生。
  母は、松平晋の娘・みさ。

□1847年(弘化4年)、叔父・斉疆(なりか
  つ)の養子となり、1849年(嘉永2年)、
  4歳で紀州藩主となった。

□将軍継嗣問題で、一橋慶喜と争うが、
  1858年大老・井伊直弼らによって、
  擁立され徳川幕府14代将軍に就任
  する。

□大老・井伊直弼が桜田門外で倒れると公
  武合体旋風が起こり、孝明天皇の皇妹・
  和宮と結婚。

□1863年3月、14代将軍・徳川家茂は3000
  の兵を率いて上洛。
  二条城に入った。将軍上洛は三代将軍・
  徳川家光以来、実に231年ぶりのことで
  あった。
  ※1634年、徳川家光が上洛した時には
  、幕府の力を朝廷に見せつけるため、
  30万の大軍を率いていた。

□第二次長州征伐の指揮を取るが、幕府
  軍の不振のまま大阪城内にて没した。



 一橋慶喜と次期将軍の座を争ったが、井伊大老の支援を得て、14代目徳川幕府将軍となる。
 だが、公武合体政策を推し進めた幕政によって、京都へと赴き、朝廷との交渉に苦悩する。
 外国船打ち払い令を発布するなど困難な政策を打ち出さざるを得なかった。