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間部 詮勝
まなべ あきかつ
1804-1884
享年81歳。

名称:鉞之助(えつのしん)、
    詮良(あきなが)、
    号は松堂(しょうどう)
身分:鯖江藩主、幕府老中

□鯖江(さばえ)藩五代藩主・間部詮煕
  (まなべあきひろ)の三男として生ま
  れる。
  兄・詮允(あきざね)が六代藩主とな
  ったが、若くして没したため、詮勝が
  11歳で家督を相続した。

□1818年(文政元年)、従五位下・下総守に
  叙任され、公家衆接伴係、奏者番、寺社
  奉行見習いと幕府要職となる出世街道
  をひた走った。

□1837年(天保8年)には大坂城代となり、
  そこで大塩平八郎の乱に遭遇する。
  1840年(天保11年)、江戸城西ノ丸付き
  老中となり、栄達するも1843年(天保
  14年)には病気を理由に職を辞して
  いる。
  天保の改革を強硬に進める老中首座の
  水野忠邦と意見が合わなかったためと
  いう。

□1858年(安政5年)、堀田正睦が老中を罷
  免されると詮勝が再び老中職に指名さ
  れた。
  井伊大老の意向に従い、京都に上ると
  朝廷へ圧力をかけて、朝議の操作を成
  そうとする。
  また、京都所司代・酒井忠義に命じ、過
  激派尊攘の公卿や浪士たちの割り出し
  と捕縛を行わせている。

□その後、井伊大老との間で朝廷弾圧への
  意見が分かれ、老中職を辞任している。
  井伊大老が桜田門外の変で倒れると幕
  府は一転して安政の大獄を断行した者
  への処罰を進め、詮勝も処分の対象と
  なった。
  1万石の領地を召し上げられる処分とな
  り、謹慎隠居を成した。
  その後は、政界を引退して、書画や茶道
  に日々明け暮れた。



 長らく幕政改革に従事したが、幕府立て直しの夢は実現することはなかった。