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江川 太郎左衛門
えがわ たろうざえもん
1801-1855
享年55歳。
名称:芳次郎、邦次郎、英龍、英敏、
号は坦庵
身分:幕臣
□江川は、幕府天領の代官を歴任した
人物であった。
しかもその天領の多くは、沿岸地域に集
中していたため、早くから海防の整備に
関心を寄せ、独学で西洋知識の習得に
奔走した。
特に当時の日本国内で西洋知識に明る
かったのは蘭学者であったことから、全
国各地の蘭学者と連絡を取り、知識の
習得を図っている。
□海防の急務を説く江川は、幕府に度々意
見を上申していた。その後、ペリー来航
が成ると幕府は一挙に江川の意見を取
り入れ、江川は海防整備へと邁進する
のであった。
この江川の先進的な行動に反対したの
が儒学派で保守派筆頭の鳥居耀蔵であ
った。
このため、江川と鳥居は度々、激しい敵
対を成している。
□江川の海防構想は、洋式軍艦を国内で
自力で造船するという高度な目標で
あった。
また、洋式の海軍を編成することも必要
とし、欧米列強から多くを学ぶ開明的な
思想を示している。
洋式砲術も熱心に考究し、高島秋帆に
師事して、その分野を制した。
その後は佐久間象山ら志士たちにも砲
術を教えている。
ついで、江川が取り組んだのが洋式兵
器を成すのに必要不可欠な金属の精製
技術の修練で、そのための反射炉建造
を幕府に建議した。
幕府の許可を得て、伊豆・韮山に建設を
はじめたが、江川は完成を見ずに没して
いる。
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幕府の近代化政策の一翼を担った。当時、最高峰の西洋知識を身につけ、近代兵器量産を目指した。
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