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小笠原 長行
(おがさわら ながみち)



□藩政改革を推し進め、藩財政基盤を
  確立する才能を幕府に認められ、奏
  者番、若年寄を経て老中格となる。

□薩摩藩が引き起こした生麦事件の損害
  賠償問題で、独断で賠償金を外国に支
  払った為、免職され幽閉に処された。

□1866年、第二次長州征伐では、九州方
  面の総督として小倉城に入った。

□のち再起を果たし、老中となる。三度老
  中職を務めたのは歴代老中で長行
  だけ。
  徳川慶喜の下で幕府権勢の回復を目指
  すが、戊辰戦争が勃発し、江戸を脱す。

□会津、仙台と移転し、最後は五稜郭へと
  逃れた。

□五稜郭での戦争後、行方知れずとなるが
  晩年、東京へ戻り余生を送った。