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徳川 慶篤
とくがわ よしあつ
□徳川斉昭の子。徳川慶喜の兄。
父の跡目を継ぎ、水戸藩主となる。
□父・斉昭と共に井伊大老の条約無断
調印を責問する。
□1858年には、勅書問題をめぐって内戦
が勃発する。
藩内鎮撫に腐心し、病弱の体に鞭打
って、幕政と藩政の両極の統制に苦
しんだ。
□1860年、水戸藩を脱藩した浪士たちに
よる井伊大老暗殺計画を察知した
慶篤は、幕府に浪士たちの討ち入りな
どがあるという報告を行った。
が、幕府への警告もむなしく、大老・
井伊直弼の暗殺事件が起こってしまう。
”天下のご意見番”と謳われた水戸藩の
家風は桜田門外の変によって、水戸藩
浪士の暴挙を抑えることができなかった
ことで、完全に失ってしまう。
その後は、幕府への発言権も弱まり、
藩内の派閥争いが激化し、その収拾を
つける手立ても打てずに、明治維新を
迎えてしまう。
尊王攘夷の先駆けを成した水戸藩で
あったが、桜田門外の変後は、目立った
活躍も見せずに藩内だけの抗争にと
どまってしまうという自滅の道を歩んで
しまった。
□慶篤は、明治に入って、まもなく没した。
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