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会沢 正志斉  1782-1863
(あいざわ せいしさい)
享年82歳。


水戸藩士。
水戸学を代表する学者。
通称:安吉、恒蔵
諱:安
字:伯民
号:正志、正志斎、欣賞斎、憩斎


□会沢正志斎は、幼くして学才にすぐれ、
1791年(寛政3年)に藤田幽谷の門下となり、学問を学んだ。その門にて、高弟となり、1804年(文化元年)に徳川斉昭の侍読(じどく)に命じられ、斉昭の傅育に当たっている。

□1824年(文政7年)5月、イギリスの船員が大津浜へ上陸するという事件が起こり、会沢は、藩命により筆談役となり、船員の尋問にあたった。
 この時の尋問で、欧米諸国への危機感を強めた会沢は、その後、国防の必要性を認識するに至った。

□この事件の翌年、1825年に会沢は、「新論」を著し、その中で会沢は、「我が国は、神国であるから、我々は、神々の崇敬をあつくし、祭政一致の政治体制を整え、国民思想の統一を図るべきである。
 国家的な危機に当たっては、時代に沿った政治改革を断行し、諸外国による我が国への侵略行為を絶対に阻止すべし」と述べ、尊皇攘夷の思想を強く打ち出した。
 この尊皇攘夷の思想は、その後の政治論に多大な影響を与え、この思想に共感した志あつい者たちは、尊攘運動を行った。

□1858年(安政5年)、水戸藩は、朝廷から幕府糾弾の密書である「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」を降下されると、この密勅を巡って、藩内は大混乱となった。
 武田耕雲斎ら強硬派は、密勅の返納に反対した。これに対して会沢は、返納を主張し、穏便な処置を取るよう唱えた。

□藩政に参画し、弘道館教授となり、
  藩士たちの学問育成に尽力した。

□主著<新論>は、尊王・大義名分・富
  国強兵などを強調し、当時の尊攘志
  士に多大な影響を与えた。



 斉昭擁立を支持し、藩政改革推し進めた。正志斎の著書は多くの志士たちに影響を与えた。