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孝明天皇 1831-1866
(こうめいてんのう)
享年36歳。
弟121代天皇。
仁孝天皇(にんこうてんのう)の
第四皇子。
□20年間皇位にあった。
外国人嫌いで幕府が外国と条約
を結ぶと腹を立て、天皇をやめた
いと言い出したが、なだめられ思
いとどまった。
□日米和親条約は許したが、日米修
好通商条約の勅許は出さず、攘
夷の立場をとる。
□他方60年皇妹和宮を14代将軍・徳
川家茂に降嫁させ、公武合体に
よる皇位の優位を目指した。
尊攘急進派の行動を好まず、公
武合体・国内一和を切望した。
□1866年、疱瘡(ほうそう)にかかり、
一時危篤状態であったが、その
後、回復に向かった。
しかし、容態が急変し、没した。
当時討幕派による毒殺説が流れ
、岩倉具視が毒をもったという
説もある。
また、別説に刺殺説があり、
孝明天皇の死は未だに謎に包
まれている。
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困難な朝廷の立場にあって、断固とした態度で天皇の姿勢を貫いた。
西欧諸国との外交問題に苦悩するも、一貫して幕府による問題打開を強く望んだ。
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