外国人を嫌い、攘夷、公武合体を切望した。
公武合体を推進したが、激動の時代に崩御した。

維新後、中央集権国家を推進した。
近代国家への発展に尽力した。

王政復古のクーデターを起こし、新政府の中枢を担った。
維新後、富国論を展開し、近代日本の啓蒙に尽力した。

尊王攘夷派の急先鋒として活躍。8・18の政変で追放される
が、王政復古の際に入京し、新政府の中枢を担った。

公武合体を唱え、8・18の政変に活躍した。
倒幕派が強くなると活躍の場を失った。

尊王攘夷派として活躍し、過激な海防論を唱えた。
その後、開国派に移行した嫌疑をかけられ、暗殺された。

一貫して、尊王攘夷論を唱え、維新後は新政府の参与に
就き、黎明日本を引っ張った。

孝明天皇の信任を得て、朝廷中枢にて活躍。
雄藩連合を目指したため、攘夷派公卿に責められ、辞した。

戊辰戦争に活躍し、維新後は首相の座に就き、
近代日本の発展に尽力した。

攘夷論を唱え、王政復古に尽力。
討幕の密勅を薩摩藩らに下す際に活躍した。

開国論を強く支持し、幕府との協調を図った。
後に鎖国論に急転換し、安政の大獄で弾圧された。

公武合体を推進し、過激な改革派と対立。
穏健な政治を目指した。

孝明天皇 (こうめいてんのう)
1831-1866 享年36歳。

明治天皇 (めいじてんのう)
1852-1912 享年61歳。

岩倉 具視 (いわくら ともみ)
1825-1883 享年59歳。公卿。

三条 実美 (さんじょう さねとみ)
1837-1891 享年55歳。

中川宮朝彦親王 (なかがわのみやあさひこしんのう)
1824-1891 享年68歳。皇族。

姉小路 公知 (あねこうじ きんとも)
1839-1863 享年25歳。

大原 重徳 (おおはら しげとみ)
1801-1879 享年79歳。

九条 尚忠 (くじょう ひさただ)
1798-1871 享年74歳。

西園寺 公望 (さいおんじ きんもち)
1849-1940 享年91歳。公卿。

三条 実愛 (さんじょう さねなる)
公卿。

鷹司 政通 (たかつかさ まさみち)
1789-1868 享年80歳。

近衛 忠煕 (このえ ただひろ)
公卿。

朝廷 ちょうてい
≪場所≫ 京都市


 永らくの間、朝廷は幕府の圧制によって、国政から遠ざ
かり、本来の政治機関としての機能を失っていた。
しかし、ペリー来航によって、国政は国内問題優先から一
挙に対外問題優先へと移った。
 幕府は国政を一手に預かる機関ではあったが、外圧の
凄まじさから、ついに朝廷に対して、方策のお伺いを立て
るに至った。
 この時より、国政の主導権は、幕府の手より徐々に離
れて行くのであった。国政の中心は江戸から京都へと
移り行き、国政の話し合いの場は、京都において行われ
て行くこととなる。

 幕府のお伺いによって、政治意欲に目覚めた朝廷は、
少しずつ政局に影響力を及ぼして行くこととなり、幕末動
乱の渦の中心となった。
 時には、過激尊攘派の志士の感化を受けて、大和行幸
や天皇親征の方策が取り決められたが、それも秩序を
重んじる国政を目指すばかりに、幕府に頼らざるを得ず
、結局は8・18の政変によって、過激尊攘派の公卿や志士
たちを切り捨てることとなった。

 その後は、幕府の威力をもって、秩序立った政権樹立
を願い、公武合体路線を支持する。各藩の藩主たちが
集い合議制によって、国政を動かそうとするこの試みは
、秩序立った封建制度を保ったまま、外敵をいかにして
打ち払うかを練り上げるつもりであった。

 しかし、朝廷・幕府が望んだこの合議制の政権は、藩主
たちの意見が合わずに夢物語に消えた。公武合体策が
つぶれると、幕府はやはり国政は幕府が一手に担うべき
との強い姿勢が巻き起こり、徳川慶喜を中心にフランス
の支援を受けながら、徐々に幕府主導による近代日本の
改革を成そうとした。

 この幕府の巻き返しが起こる中、薩長両藩は、倒幕を
目指し、朝廷を中心とする統一国家の樹立を掲げる。
近代国家のあるべき姿を見極めた薩長両藩は、統一国家
が最重要課題と位置づけて、尊王思想に基づいて、天皇
・朝廷を中心とする政権樹立を目標とした。
 幕府は余分な政治機関と見なし、これを断固排除し、
封建制度の変革を成し、それから富国強兵を目指し、
外圧に屈しない欧米列強と肩を並べる国体を成そうと
したのであった。

 結局は、戊辰戦争を巻き起こし、大義名分を得た薩長
側に正義が見出され、天皇・朝廷を中心とする統一国家
が誕生するに至るのであった。




中山 忠光 (なかやま ただみつ)
1845-1864 享年20歳。公卿。

若くして尊攘派公卿の筆頭となる。天誅組の総帥に擁立され、倒幕・尊攘
を同時に行おうとしたが、無理がたたって敗北。防長の地にて惨殺される。


沢 宣嘉 (さわ のぶよし)
1835-1873 39歳。公卿。

尊攘公卿として、大和行幸・天皇親征実現を目指す。だが、8.18の政変を
もって七卿落ちし、新政府樹立を持って政界復帰を果たす。